想像してほしい。
目の前に初対面の人がいて、あなたはその人に自己紹介をする必要がある。相手に自分が何者であるかを説明したい時、どんな情報を伝えるだろう?
出身、職業、学校名、所属団体(チーム)、経歴。こういった肩書きや所属は、あなたのことを覚えてもらうための有益な情報だといえる。「私はどこどこの◯◯です」は、最も基本的な自己紹介の方法だ。
では、もしそれらの肩書きや所属がなかったら。相手に覚えてもらうために、あなた自身のことをどう説明すればいいだろう?
僕は大学時代、長野県に住んでいた。ストリートダンスサークルに所属し、3回生の時はサークル長も務めた。先輩・後輩とチームを組み、DANCE@LIVEの大学生サイドで北陸の予選を勝ち抜き、国技館で開催された本戦にも出場した。また大学2年の時に、長野を代表するストリートダンサーYOSHIAKIさんに師事し、光栄なことにレッスンのアシスタントを務めたり、いろんな地域のバトルに連れて行っていただいたり、一緒にショーをさせていただいたりもした。そんなありがたい繋がりや師匠からのフックアップもあり、県内ではそれなりに名の通った学生ダンサーだった。要は学生シーンではチヤホヤされていたのだ。
そこから一変したのは2014年の冬。ダンス修行のため、長野から大阪に移り住んだ時だ。なかば勢い任せに身一つで引っ越したため、大阪では自分のことを知る人は0人。ダンスバトルに出ても歯が立たず予選落ちで、誰かに覚えてもらうきっかけも少ない。
(当然といえば当然なのだが)長野における学生時代とのギャップは大きく、環境の変化とともに誰からも見向きもされなくなるという経験は、いろんなことを考えさせられた。

また自己紹介をする時、関西のダンサーに説明できる
自分の情報がほとんどないことに気づいた。長野の大学名を言ったところで分かる人などいないし、「学生時代このイベントでゲスト出演して」と話しても伝わるはずがない。それに大阪で所属している団体やチームもないし、なんなら職にも就いていない(マルイのカフェでバイトしていたが、そんなものは所属とは呼ばない)。覚えてもらうとっかかりはほとんどなかった。
イベントで勇気を出して話しかけても「セイジと言います!少し前に長野から出てきました!」くらいで自己紹介は終わって会話もそれっきり。相手の記憶にとどまる方が不思議だ。かろうじて
所属といえるものは、毎週火曜のFRESHのoSaamクラスに通っていることくらい。でもそれもたかだか1,2ヶ月通った程度の超新参者だ。自己紹介として使うには違和感がある。人生で初めての、
自分の肩書きやアイデンティティのようなものが失われる経験だった。
こう書くと「長野でやってきたことが無駄だったと言いたいのか!」とお叱りを受けるかもしれないが、もちろんそうではない。当然それまでの努力や経験は僕の血肉になっているし、学生時代がなければ間違いなく今の僕はない。しかし、一地方の学生シーンでちやほやされている若造の肩書きなどというものは、環境が変わってしまえばなんの役にも立たなかったことは間違いないだろう。
それから「人に覚えてもらうとかではなく"自分は何者か"なんて自分だけが分かっていればいい。
『どこにいても自分は自分だ』と思わないと!」というご指摘もあるだろう。もちろんそれも正しい考えだとは思うし、どこにいてもブレない自分だけの軸を持つことは肝心だ。しかし社会で生きていく以上、他人との関わり合いは避けられないし、他人との関わり合いとは認知から始まるものではないだろうか。
とにかく当時の大阪において
何者でもないという感覚は、想像以上に僕を困惑させた。
そういえば以前のコラムで、大阪に出てきて間もない頃、アメ村の人気パーティPROPSに初めて遊びに行き、その圧倒的な濃度のHIPHOPカルチャーと音の凄まじさに衝撃を受け、その会場であるクラブ[Grandcafe](グランカフェ)で働くことになった経緯について書いたが、クラブのスタッフになってからも
自分が何者かに関する苦悩は続いた。
「初めてPROPSに遊びに行った夜」当然だが、クラブスタッフはパーティの裏方。仕事中は自分に注目が集まることはない。仲良くしてくれるイベンターやお客さんも多かったが、スタッフはスタッフだ。酒を運んだり、泥酔したお客を運んだり、VIPの対応をしていても、基本的には見向きもされない。

しかしときどき見向きされるタイミングがくる。それは大きなパーティの日だ。クラブスタッフは、親しい友人向けに特別に安いゲストを取ることができるので、スタッフと繋がっている客は、一般的な前売り価格よりも安く入れる。そのため、例えば有名なアーティストが来るパーティが近くなると、いろんなダンサーから「お疲れー!イベントのゲストってとってもらえたりする?」とDMが届いた。普段は特に仲良くもないのに、その時だけ調子の良い連絡が来て、パーティが終わればまたなんのやりとりもしなくなる。そんな利己的な人に苛立つ一方で、「自分は所詮、クラブに安く入れてくれる奴としてしか認知されてないのか…」と、自己肯定感が急降下したものだった。「何者」どころか、ほとんど道具ではないか...。
ずっと個人的な話で申し訳ないが、長野から大阪に出てきて今年で丸10年になる。今ではスタジオマネージャーなどと大層な役職につき、ことあるごとに偉そうにコラムやイベントレポを書かせてもらっている僕だが、10年前は自分が何者でもないことに苦悩した。しかしクラブスタッフ時代の先輩方や、FRESHで出会った先生や友人に、「人」として接してもらうことで少しずつ自分のスペースのようなものができてきた気がする。
他人と関わって生きていくため(=他人から認識されるため)、わたしたちはみんな何者かになりたいし、そして何者かであることで安心感を覚える。
理想の自分になるべく、または自分が生きた証を残すべく、日々努力することはとても素敵なことだし、それを成し遂げた人に対して一目置くのもごく自然なことだ。しかしそれがいきすぎて、相手の肩書きや経歴で態度を変えたり、ひいては「自分にとってメリットがありそう」という基準で無意識にコミュニケーションの程度を変えてしまっていないだろうか。「何者か」である前に、わたしも相手も尊重されるべき1人の人間であることを心に留めておきたい。
text : Seiji Horiguchi