NEWS最新情報

アメ村放送倶楽部 vol.9 DJ K-KATSU

2020.12.16

アメ村放送倶楽部 vol.9 DJ K-KATSU

イメージ1
ゲスト : DJ K-KATSU
ホストMC : Seiji Horiguchi
※2020年8月7日(金)のインタビュー

この日は特別にインタビューの前にDJ K-KATSU氏による1時間のDJ配信を行ってからの開催となった。


Seiji : 本日も始まりました、アメ村放送倶楽部の時間です。これまでの時間は本日のゲストであるDJ K-KATSUさんによるDJ配信をお送りしました。K-KATSUさんが毎週金曜日に行われているインスタライブ配信に、アメ村放送倶楽部が特別にお邪魔しているという形でもあります。
イメージ2
K-KATSU : こんにちはー。今日はFriday ChannelとFRESHの放送が一緒になった感じやね。

Seiji : 今からはインタビューの時間ということで引き続き宜しくお願い致します!K-KATSUさんとはプライベートでもお世話になっていて、最近プロフィールも書かせていただいたので、まずはそちらから紹介したいと思います!

DJ K-KATSUプロフィール

大阪に根を張りつつも国境を越えて活動を行うDJ。

99年末に活動開始。NYのDeep House, Garage, Soulといった様々なDance Musicに影響を受け国内外の現場にて数々のアーティストと共演経験を積む。

毎夏の渡米では、NYの主要Clubでギグ。現地のアーティストからも一目置かれる存在である。その経験を活かし、毎年GWに阪急梅田で開催されるNYフェアにてDJやブッキングを担当するなど、ストリート以外の場面においてもNY-日本の架け橋的存在として注目を集めている。

日本のリスナーにNYのヴァイブスを届けるナビゲート精神と全国のプレイヤーと気持ちの部分で繋がるホスピタリティの精神は、フロアを包み込むようなDJに表れている。

コロナ禍においても、CORNER DELI STOREでのオンライン販売や自宅からのDJライブ配信など、発信力は一切低下せず、あくまでリスナーやヘッズの日常に寄り添いながらカルチャーを提供している。


K-KATSU : ありがとう。なぜセイジにプロフィールを依頼したかというと、前にFRESHのインタビューを受けた時の文章がめっちゃ良くて。そこからちょくちょく依頼させてもらってます。
30min interview to DJ K-KATSU vol.1
30min interview to DJ K-KATSU vol.2

Seiji : ありがとうございます。K-KATSUさんは今までに何度かインタビューをさせていただきましたね。あれは初めから「インタビューをするぞ」と考えていた訳ではなく、お茶しながら近況を聞いてるうちに「インタビューみたいだな…」と思って、記事っぽく書いてスタジオのブログにあげたのがきっかけでした。それくらいK-KATSUさんのお話は貴重でした。

K-KATSU : ラフに喋ってるはずの近況報告がインタビュー記事になってたね。

音楽との出会いからレギュラーパーティ“Monday Channel”の発足まで

Seiji : まず前半ではK-KATSUさんがDJを始めたきっかけについて聞けたらと思っています。

K-KATSU : 最初はHIPHOPのダンスとの出会いやね。 友達がダンスやってたから自分もやってみたけど全然できなくて。それよりDJがかっこいいなって思った。高2の頃に「同じ学年にHIPHOPのDJやってる奴がいる」っていう噂を聞いて友達にそいつを紹介してもらったんやけど、そいつが既にクラブで回してて。そこに遊びに行ったのがきっかけかな。

Seiji : 高校生でクラブデビューですか!

K-KATSU : 学校から帰ってきて飯食って22時くらいに家出てチャリでクラブ向かうねんな。その同級生は駆け出しやからオープンで回してるわけよね。その子が回した後、上の世代の人が回して…で朝方にまたチャリに乗って帰るっていうのを繰り返してた。別の同級生でスクラッチが得意なバトルDJみたいな人がいて、その人に使わなくなった機材をもらったのがDJを始めたきっかけです。

Seiji : 周りにストリートカルチャーが好きな人が多かったんですね。

K-KATSU : まあ岡山は少ない方やったけどね。自分は工業高校に通ってたんやけど、私立のヤンキー学校とかはラッパーもいたな。自分は高校では部活もしてくて毎日バイトしてた。バイト終わったらDJの友達にレコ屋に連れて行ってもらって。最初は完全にHIPHOPばっかり聞いてたね。高3になってからは土日だけ古着屋で働き出して、そこの店長に色々教えてもらったな。良いことも悪いことも(笑)

Seiji : 音楽に出会った時から、音楽中心の生活になった訳ですね。大阪に出てきたきっかけやHOUSE DJとして活動するに至った経緯について教えてもらえますか?

K-KATSU : 大阪に出てきたきっかけは、働いてた古着屋が大阪に進出しようとしたところから始まったんよね。店長と一緒に何回かリサーチに来たんやけど、その度に「大阪いいなあ」って思ってて。結局店の方は出さないことになったけど、自分は思い切って19歳で出てきた。最初はサーフショップで働いたけど全然合わなくて、そこを辞めたあとはWALKIN’ STOREで働き始めた。

Seiji : え、K-KATSUさんウォーキンでも働いてたんですか!

K-KATSU : 今みたいな綺麗な路面店の感じじゃないで。雑居ビルに入ってるような頃。そのスタッフの先輩に韻踏合組合のERONE君とかもいてね。店は小さいけど繁盛してたから移転することになって。『EDGE』っていう服屋の前やったんやけど、そこではWORD SWINGAZのO.K.I君とかが働いてたね。

Seiji : 当時はいろんなシーンの方がアメ村の中で密接に絡み合っていたんですね。

K-KATSU : 今、自分がHIPHOP界隈の人とも絡みが濃いのはこの頃の出会いが大きいね。で、20歳になる前にDJ DAISUKEさんに出会ってから、がっつりHOUSE DJを志すようになった。
イメージ3
もうとにかくレコードを買いまくった。洋服屋の仕事が20時に終わるんやけど、CISCOとManhattan Redordsって21時までしか開いてないから掘る時間が1時間しかないねんな。その1時間を狙ってレコ屋に行ってた。

Seiji : 大阪のイベントで回すようになっていくのも早かったんですか?

K-KATSU : 当時の周りの人の「思いついたらイベント打ってるみる」っていう性格に影響受けて、とにかくイベントをやろうやろうとしてたね。まずは月1くらいのレギュラーパーティをFLATtでやってた。ゲストにDJ DAISUKEさんに回してもらって、自分はフロント(オープンDJ)で回して。

Seiji : まずは場数を踏むという姿勢ですね。

K-KATSU : イベントは自分でやってみないと仕組みがわからんやん。例えば箱を借りるにはいくら必要で、お客さんが何人入ったらそれをペイできるか、とか。それからDJのスキルも回していく中で身につけていくって感じ。もちろん失敗もしたけどね。

Seiji : 現在も続く「~~~~ Channel」というパーティブランドについて。個人的な話になってしまいますが、自分が地方から出てきて初めて遊びに行ったというか、ふらっと迷い込んだイベントがUNION(現mizu no oto)のMonday Channel(通称マンチャン)でした。このパーティブランドはどのように形作られていったんでしょう?

K-KATSU : まずFLATtでDJ YOKUさんが『Every Wednesday Night』っていうイベントを主催してて。YOKUさんからDAISUKEさん、DAISUKEさんから自分という風に継いでいって5年くらいやらせてもらった。Flatが閉まるタイミングでイベント自体も休止になった。で、大正の「Sound Channel」っていう箱がアメ村に来るっていう話を聞いて、オーナーに会いに行ったのが始まり。Sound Channelで毎週月曜日にやるから「Monday Channel」(マンチャン)っていう名前になった。でも風営法が厳しくなってSound Channelが閉店せざるを得なくなってしまってさ。で、いろんな流れがあって最終UNIONでやることになった。実際やってみるとあのUNIONのサイズ感が妙にハマって。回してる時のフロアとの距離がちょうどよかったんよね。お客さんとのバイブスが共鳴するのが分かるというか。それを特に感じたのは外タレを呼んだ時だった。
イメージ4
Seiji : Black Coffeeさんが来た時なんか、まさにすごい光景でしたよね!バーカンに行くのも大変なくらいフロアがパンパンで。朝方8時くらいでもまだまだお客さんが残っていて、誰かがスケッチブックに曲のタイトルを書いて「これかけて!」ってリクエストして、それをみてBlack Coffeeさんもニコって笑ってそれをかけて、フロアぶち上がるみたいな(笑) 伝説的なパーティでした。

K-KATSU : エネルギーがすごかったな。前売り100枚は完売して、さらに当日のお客さんも来たりしてね。元々2時間しか回さない予定だったのにむこうから「やらせてくれ!」って言って最終5,6時間くらい回してくれた。それくらいこっちのバイブスと合ってたのかもね。

NYと日本の架け橋的存在

イメージ5
Seiji : そうやって外タレが大阪に来てくれるのは、K-KATSUさんが大阪に根を張りつつワールドワイドに活動されてきたというのが大きいと思います。特にNYですね。初めてNYに行ったときや、初めてDJをされた時の話を聞かせていただけますか?

K-KATSU : 初めて行ったのはまだ洋服屋のときやから22歳とか。働いてる洋服屋の社員旅行が毎年あったんやけど、南国とかにしか行かへんかったからある年、社長に「有給とかも使ってNYに行かせてくれないか」って頼んで1週間だけ行ったのが始まりやね。レコード買いあさって毎晩クラブ通って。衝撃だらけだった。

Seiji : どういったところが衝撃的でしたか?

K-KATSU : まずは年齢層。NYは5,60歳の人らがまだまだ現役で。もともとディスコで遊んでた人たちが今でも全然HOUSE聞いてるって感じかな。パワーが違うな。めちゃめちゃお尻が大きい黒人のおばちゃんがガンガン踊ってたりね。あとNYではオープンから楽しむっていう文化もあって。22時オープンやとしたらその前から50人くらい並んでるからね。こっちだとみんなで居酒屋行って1:00くらいのショー前に行こうくらいの感じやん?(笑)

Seiji : 確かにそうですね!向こうでDJをしたのはどういう経緯だったんですか?

K-KATSU :
イメージ6
元々、自分の師匠だと思ってるMr. Vを年に一回は日本に呼んでて。やっぱりそういう繋がりがあると自然に仲良くなるやん?自分が色々連れてったりするし二人の時間も多いし。ただこっちに呼んで共演するだけの関係じゃなくなったというか。メールのやり取りもするようになると新曲もどんどん送ってもらえるようになったりした。で、ある日「来年くらいにNY行く」ってメールしたら「OK!じゃあブックする(イベントで回す機会を作る)!」って返してくれて。

Seiji : なるほど。まずはソウルメイトになるという流れだったんですね。

K-KATSU : で、Mr. Vと自分の二人がDJ…っていうのがNYでDJした最初の経験やね。そのイベントのオーガナイザーがVooDoo Rayやったんやけど、ここがTony Touchと出会ったりFunkboxでDJしたりする大きなきっかけになったね。
イメージ7
そのイベントが少し早めに終わって、そこからドライブして連れて行ってもらったクラブが今は無きCieloっていうHOUSEの名門クラブなんやけど、そこで回してたのがKarizmaやった。で、Mr.VはKarizmaのDJのホストMCをやってて…もう一番興奮したかも。

Seiji : NYのOGと絡んだり一緒のパーティでDJしたりするのって緊張はしなかったんですか?

K-KATSU : 特には。とりあえず「写真撮ってよ」って話しかけたら「お前見たことあるな」とか「Mr. Vが紹介してくれたKATSUか。よろしくな」って感じでよくしてくれたしね。NYに一人で行ってコミュニティに入って行くようなアジアン自体がおらんから、珍しがられたのもあるかな。

Seiji : ちなみに今(インタビュー時)のNYはどんな状態なんでしょう?

K-KATSU : 本当にコロナの影響はひどかったらしい。NYに住んでる友達と電話して情報交換してると、報道とか政策の違いが分かる。例えば日本やったら「自粛しましょう」って呼びかけるだけやけど、アメリカとかヨーロッパはもう「完全に外出禁止!その代わりに補助はします」っていう姿勢。

Seiji : 比較すると問題も浮き彫りになりますよね。

K-KATSU : NYは飲食店も完全に宅配かテイクアウトだけだったらしい。で、家賃が半端なく高いからアルコール出してるようなところは、かなり潰れていってるみたい。一方でファストフードの店はまだ生き残ってる。で、つい最近やっと「歩道にテーブルとイスを出して営業してもいい」っていう政策が出たらしい。あとは屋外での飲酒も許可されたみたい。アメリカって元々外でアルコール飲むのが禁止っていう条例があるから異例中の異例やけどね。

オンラインでDJ配信を行う。新時代突入。

Seiji : やはりNYのDJにとっても、まだまだ厳しい状況ですよね?

K-KATSU : ほとんどのDJは配信に切り替えて、リスナーからDonationとかTipをもらってる。それをみて自分も始めたっていうのもあるね。

Seiji : 確かにK-KATSUさんもいち早くインスタライブでの配信を取り入れられていましたね。

K-KATSU : 今やれることがそれしかないからね。大阪では特にレギュラーパーティをやるのが難しい。そんな時に何をするかって考えたらやっぱり配信しかなかった。「月曜の夜はマンチャン」っていうイメージは多くの人の中であるわけやし、レギュラーDJのCAZIHIRAMEと配信やってみようかってなった。でもやってると週1じゃ少なくてさ。次に日曜のお昼に配信してみようってなった。こっちはHOUSE以外のゆるい感じの選曲やね。後輩のDJ shotaと俺でやってます。更にFriday ChannelとSaturday Channelも。ゲストを迎えて配信する日もあるよ。

リスナーからのコメント : KATSUさんのライブ配信のおかげで、コロナ明けにクラブで会いたい人がいっぱい増えました。

Seiji : 素晴らしい!オンラインで繋がった人が、現場で会って交流できるのが一番の理想ですよね。

K-KATSU : そう。今度直接会う時に、初めてやけど「初めまして」じゃなくなる。オンラインの良さだと思うね。

Seiji : それから気軽に辿り着ける分、ハードルが下がるという点がオンライン配信の一つのメリットですね。スタジオのオンラインレッスンも同じです。しかも先ほどの1時間のプレイの中で思ったのですが、K-KATSUさんは観ている方へのケアというか迎え方がとても上手ですね。

K-KATSU : インスタライブってステイせずにすぐ離れる人がほとんどやと思うんよね。俺もそうやけど、パッと入ってちょっとコメントして出ていく…っていうのが大抵の流れ。5,6分観てる中で曲の展開はもちろんあるけど、画面の変化がないとすぐ出ていくよね。やから入ってきた人は知らない人やとしても、鬱陶しくない程度にコミュニケーション取るようにしてる。

Seiji : 先ほどの配信では、K-KATSUさんも入ってきた知り合いに声をかけたり、観ている人も曲が変わったタイミングで反応していたり、なんとなくクラブの中の光景を思わせるものがありました。自由に楽しんでいるというか。というかリスナー側のスキルも高いですよね!

K-KATSU : なかにはBluetoothでスピーカーに繋げて部屋で踊ってるっていう人もいるみたい。視聴者数が10人を割ってきたらやめ時かなって思うけど今のところはやめるつもりはないし、むしろこういう配信の形態に挑戦するっていう時期なんかなって思うようになった。

Seiji : ライブ配信の中で一番可能性を感じるのはどういう部分ですか?

K-KATSU : 物理的に現場に来れない人たちが参加できるっていう点が一番大きいね。もし現場でイベントをやれる状況になったとしても配信は配信で続けると思う。例えば日本時間の夜中1時から5時まで回すってなったらNYはお昼やねんけど、ちょっと昼休憩がてら観れたりするわけやん?全然続ける意味はあると思う。あとはシンプルに配信は楽しいからね。海外の有名なDJとかも全員やっててさ。インスタのトップ見たらライブしてるアイコンがずらっと並んでて贅沢な光景やで!SpinnaがやっててMr.VがやっててTonyやってて…誰観ようかなってなるよね。


生活をすっきりさせていく中で見つけるもの。ミニマルなK-KATSUの生活。

Seiji : それからK-KATSUさんのオンライン上での発信場所でいうと、やはりオンラインショップのCorner Deli Storeだと思います。K-KATSUさんの趣味が詰まってますよね。こちらもお話を聞きたいです。

K-KATSU : スタートさせたのは、2019年です。でも以前から洋服は売ってたけどね。HOUSEのTシャツとか。

Seiji : コンセプトはもちろん“NY”だと思うんですが、買い付けはどのように?
イメージ8
K-KATSU : 直接自分が行く時に買い付けに行ってる。去年9月にはNYに行った時は週に2,3回DJをさせてもらいながらその合間に買いに行ってた。ただNYから買い付けしてるショップなんかその辺にいくらでもあるやん?でもCorner Deli Storeのアイテムは現地のイベント会場でしか売ってないものやったりするんよな。例えばParadise Garage Re:Unionっていうイベント。これはNYで年に一回ある伝統的なパーティやねんけど、本当に凄まじくて。俺が一番年下くらい。人は2000人くらい入ってて、おじいちゃんおばあちゃんがdisco musicで一晩中踊ってるみたいな。

Seiji : すごい!エネルギーが違いますね!

K-KATSU : DiscoとかHOUSEの伝説的なパーティに遊びに行ってた人らやからね。まさにReunion(同窓会)って感じ。そういう場所で自分が一番衝撃を受けたアイテムを買ったりしてる。日本ではほとんど売ってないと思うな。やから反応してくれる人はめっちゃ反応してくれるな。
イメージ9
Seiji : 今年、NYに行くことができなかったのは痛いですね。

K-KATSU : 現地の友達に買って日本に送ってもらってる。あとは自分でデザインもやってみてるよ。NY在住の人とか東京の人とデザインしてる。

Seiji : 環境が変わってもその中でやれることをやるというスタイルですね。

K-KATSU : 前のような状態に戻るってこの先無理やん?緩和していくかもしれないけど完全に元どおりにはならない。今のスタイルに外の営業が少し増えてくる、くらいやと思ってるよ。あとこれは自分の中で変わってきてることやねんけど、雑なものが生活の中に入ってこないようになってきたのもあるかも。やっぱり暮らしがわちゃわちゃしてたら考えとか感覚もわちゃわちゃなってくるやん?基本的に会う人も限られてきたしね。もちろんこれは別に好き嫌いとかじゃなくてね。

Seiji : ものすごくわかります。初めての事が続くカオスな状況で、思考をすっきりさせていくことの重要性を痛感した年でした。

K-KATSU : すっきりさせていくうちに繋がるイメージかな。例えば俺が配信の時に着てるTシャツを見てオンラインで買ってくれる人もいたりする訳やん?気づいたら自分のやってる事も繋がるし、同じ感覚を持った人とも自然に繋がるし。

Seiji : ここは普段から我々二人で話していても最終的に着地する部分ですよね。コロナで「全てが止まる」というよりも、その中で生まれるものに目を向けるというか。というわけでお時間が来てしまいました。本日のゲストはDJ K-KATSUさんでした!ありがとうございました!

K-KATSU : みなさんありがとうございました!
イメージ10
[筆者あとがき]
人が集えないと現場特有のエネルギーを共有できず
精神的・経済的な打撃も当然大きい。
多くの人はそういった状況で希望的観測から
「コロナが明けたら◯◯しよう」と呟く。僕もつい口にしてしまう。
しかしインタビューの最後にK-KATSU氏が発したように、
この現状が完璧に回復する日は来ないのかもしれない。
つまり芸術活動や経済活動を滞らせたまま
いつになるかわからないその日を待つのは、実は非常に危険な事なのだと思う。

「現場で人が集まれないなら自宅からDJを配信する」
「NYに行けないなら現地の友人に買い付けしてもらう」
これらは行動を起こしてしまえば(あるいは文章にしてしまえば)シンプルに見えるかもしれないが
ここにクイックに飛び込み、かつ徹底的に取り組むのは、誰にでもできることではない。

穏やかな口調でユーモラスにインタビューに応じる中にも
極太なこだわりが見え隠れするK-KATSU氏の姿勢に
おおいに刺激をもらったインタビューだった。

インタビュー/文 : Seiji Horiguchi
  • お電話でのお問い合わせ

    06-6211-5838

    受付時間: 12:00-23:00

  • メールでのお問い合わせ

    受付時間: 24時間

    ※ 24時間対応ではありません