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FRESH DANCE STUDIOプレゼンツ・インタビューシリーズ茂千代&DJ SOOMA

2019.12.18

Dec.18.2019

HIP HOPが著しい成長を遂げ、世界中の多くのアーティストが影響を受けることになる90年代。そんな激動の時代に活動を開始し、90年代、00年代そして10年代の日本のHIP HOPシーンの潮流を肌で感じながらも独自のスタイルを貫き、大阪アンダーグラウンドをレペゼンしてきた2人のプレイヤーがいる。MC 茂千代とDJ SOOMAだ。今は亡きレジェンドDJ KENSAWに師事し、「梟の信念」を受け継いでいる。
伝説的なHIP HOPユニット”DESPERADO”のフロントマンを務め、ソロに転向した後も多くのクラシックを生み出し、多くのMCに影響を与えてきた茂千代。凄まじいエネルギーを放つ魂のライブは時代を超えて愛され、MC MACCHO、SHINGO02、ISSUGI、kid fresinoなど著名なMCとのセッションも果たす。
そして数々のレギュラーイベントはもちろん、日本全国やアジア圏を飛び回ってはドープなサウンドをデリバリーしているDJ SOOMA。「サンプリングスナイパー」というa.k.aが表すように、渋さと太さが際立つビートの作り手としての顔を持つ。
そして2019年12月、茂千代は全曲DJ SOOMAによるビートプロデュースのもと、ニューアルバム「新御堂筋夜想曲」をリリースし、新たな局面への一歩を踏み出す。この日本一ドープなOGタッグがいかにしてHIP HOPと向き合ってきたのか。また新しいアルバムに込めた思いとは。宗右衛門町のお好み焼き屋オモニにて、ゆったりとインタビューは始まった。

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なお、DJ KENSAW氏について詳しく知りたい方には
まず以下のインタビュー記事とサウンドから予習をオススメする。
DJ KENSAWインタビュー2007年(Amebreak) ※インタビュアー : DJ URATA氏

◆DJ KENSAW feat. OWL NITE FOUNDATION‘Z ― OWL NITE


1, 故DJ KENSAWからの多大なる影響。

"ビートを10曲くらい入れたやつに自分の電話番号書いて、福井まで行った。
そのイベントでめっちゃ緊張しながら自己紹介してビート渡した。
そしたら後日ほんまに本人から電話かかってきてん。"


よろしくお願いします。まずは記事を読んでいる若い世代に向けて自己紹介からお願いできますか?やはり「梟観光」という言葉はキーワードになると思いますが。

茂千代―まず「梟観光」っていうのはDJ KENSAWさんがやってるものなんですよ。厳密にいうと俺らは梟観光ではなくて。

SOOMA―昔、「~~株式会社内、○○」みたいに会社の中にもう一個会社があるような。そういう位置付けってよう言われた。

なるほど。茂千代さんが曲の中でよくシャウトされる「Sound Travel Agency」もそれに近いものですか?

茂千代―最初はKENSAWさんが”Sound Travel Agency”っていうレーベルをやってて。2003,4年頃にBONSAI RECORDから始まってKENSAWさんともっぺん合流した時(*1)に、「S.T.Aをお前がやっていって、ええと思った奴をフックアップできるようなラップ部門のレーベルになったらいい」って言われてもらった看板すね。自分の性格的に、誰かをフックアップするところまでなかなか至ってないけど。
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*1…茂千代氏は一時期HIP HOPの現場を離れ九州で働いていたのだが、そこで偶然観たTHA BLUE HERBのライブに衝撃を受け再度MCとしての道を志し、大阪に戻る。BONSAI RECORDから音源をリリースするなどして活動を再開したという。(過去のインタビューより)

SOOMA―自分がKENSAWさんと出会った時は、まだ梟観光すらなかった。最初「梟企画」やってん。でも「企画」は怪しいなってなって(笑) 「梟ツアー」になり、最終的に「梟観光」になった。

SOOMAさんがKENSAWさんと出会ったのはいつでしょうか?
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SOOMA―二十歳くらい。KENSAWさんは俺が10代の頃からバリバリ回してはったんやけど、なかなか大阪で見れない時期があって。そしたらある日、福井の友達(*2)が「今度KENSAWさん回しに来るで」って教えてくれて。その時ちょうど自分がビート作り出した頃やって。ビートを10曲くらい入れたやつに自分の電話番号書いて、福井まで行った。そのイベントでめっちゃ緊張しながら「大阪から来ました」って自己紹介してビート渡した。そしたら後日ほんまに本人から電話かかってきてん。はじめ「騙されてるんかな?」って疑ってしまった(笑)

*2 …大阪と福井は90年代より交流があった。もちろんKENSAW氏、茂千代氏と福井のプレイヤーとの間に親交があったことも大きな要因である。

すごい!それらを聴いて反応してくださったんですね。もう少し遡ってSOOMAさんがDJを始めたきっかけを教えてもらえますか?

SOOMA―きっかけはKENSAWさんプロデュースの「OWL NITE」のレコードを聴かせてもらったことかな。それが17歳くらい。

◆DJ Kensaw feat Owl Nite Foundation‘z - Owl Nite (Royal High Mix)


茂千代―え、そうなん!?

SOOMA―そうですよ!(笑) 当時は別にHIP HOPだけ聴いてたわけじゃなくて、みんなと同じようなPOPSとかを普通に聴いてたっす。でも最初は金ないからタンテを2台買えへんねんな。ミキサーもないし。タンテとコンポの間に一個、機械を挟んで音を出せる状態にして。最初なんか地べたに置いてた。

SOOMAさんはいま、ビートメイカー/プロデューサーとしての顔もあるわけですが、DJをするというところからビートメイクに挑戦するきっかけはなんだったんでしょう?

◆DJ SOOMA meetz G.A.S.S “WARKY”


◆JASS - Shake Feat. KOH JNKei (Prod. by DJ SOOMA)


SOOMA―やってる人が少なかったっていうのが大きい。同世代はもちろん上の人らも数えられるくらいしかやってなかったし。とりあえず「音はサンプラーで作る」っていうのだけ聞いてとりあえず買ったけど「サンプリング」っていうこともなんとなくしか分からん状態で買ったからほんまに試行錯誤しかなかった。例えばSOULの曲でも「なんでピアノのソロの部分がないのに、ピアノの音だけ抜き取れるんやろ」とかずっと不思議やった。でもやっていくうちにやり方を学んだり。

茂千代さんとKENSAWさんの出会いも教えていただけますか?

茂千代―年齢でいうと高3。その年のDMC(*3)にラップ部門があったんやけど、そこにダイナモってクルーで出たら大阪大会を突破できて。東京での本戦では結果は残せんかったけどライブはやれて。その時にYOU THE ROCK★にデモテープを渡したら「HIPHOP NIGHT FLIGHT」っていう当時のヘッズはみんなダビングして聞くようなラジオ番組でかけてくれた。それをYAMAMOTOさんっていう三木道三とかをプロデュースしてはった人が聴いて反応してくれたんやと思う。で、YAMAMOTOさんとDJ TANKOさんがベイサイドジェニーで雷(*4)をゲストに呼んでイベントを主催した時に、自分らをフロントアクトとして呼んでくれた。で、そこでのライブを見たKENSAWさんに「今度OWL NITEって曲でレコードだすんやけどお前参加せえへんか」って声をかけてもらった。そこからたまにKENSAWさんの家に行ってビート聴かせてもらうようになって。だから始めてすぐに憧れたところに行ってしまった。下積みがないというか。

*3…世界一のDJを決める大会。30年以上の歴史を誇り、日本各地で毎年予選が行われる。
*4…1997年に結成したHIP HOPユニット。2003年にKAMINARI-KAZOKUに改名。YOU THE ROCK★を始め、東京の名だたるMCが名を連ねる。日本語ラップにおける歴史的クラシック、1995年に「証言」を発表したLAMP EYEはこのユニットの前身と言われている。(wikipediaより)


自分はKENSAWさんの活躍をリアルタイムで見れなかった世代なんですが、そういった層にもKENSAWさんの人柄が伝わってくるのが、2017年に茂千代さんがリリースされたSir OWL(*5)ではないでしょうか?タイトル曲の「Sir OWL」からはKENSAWさんの所作が生々しく迫ってくるものがあります。

*5…2017年にリリースされたEP。亡きKENSAW氏が遺したビートに、茂千代氏が畏敬の念を込めてラップを込めて制作し、S.T.A名義でリリース。

◆Sir OWL/茂千代


茂千代―この12月に出るアルバムにも通じてるものがあるんやけど、KENSAWさんがDJしに行くときに俺は運転手として同行してて。Sir OWLは、その行きと帰りのKENSAWさんとの思い出を切り取って歌ってる。あのトラックは大量にあったKENSAWさんのビートの中でも最後に聞かせてもらったやつやねん。メロウなトラックやからラップもメロウになりがちやねんけど「あえてハードに」っていうテーマはあった。言葉もしっかり詰めて。
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確かにライブで歌われる時も、しみじみ聴かせるというより力を込めてスピットするという印象です。

茂千代―亡くなられた時に「自分が言わなあかん」って思った部分があって。サンプリングソースも自分が好きな曲で、タイトルもそこに関連づけてみたりとか。こんなにバッチリはまることあんのかってくらい。んー…、でもここはネタバラシになるから元ネタは言わんとくわ(笑)

2, ニューアルバム「新御堂筋夜想曲」について。

"基本的にビートがないとラップを書けへんし、
SOOMAの骨太でタフなビートに
どうアプローチするかっていう僕の挑戦なんすよ。"

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先ほども少し話が出ましたが、2019年12月リリースのニューアルバム「新御堂筋夜想曲」も、KENSAWさんとの車中に関連した内容だとうかがっています。

茂千代―新御堂筋を通って車でKENSAWさんを迎えに行って、ミナミの現場に行って朝方帰る…の繰り返しを綴ったんですけど、たまたま今も一緒なんすよね。新御堂筋を通ってSOOMAをひろってミナミに向かう。「新しいけど変わってない」っていうところを歌いたかった。

KENSAWさんとの車中で、印象に残っているエピソードなどありますか?

茂千代―KENSAWさんとのエピソードかぁ…。ほぼ無言なんすよね(笑) 乗って、ミナミの現場着くまで一言も喋らんこともあったし。その時々でハマってる音楽をCDにやいて、車で聞かせてくれたりするんすよ。それを聴きながら行く。で、それ以外の時は俺が選曲せなあかんねんけど、迎えに行く前に「今日はどうしよう」ってめっちゃ考えんねん(笑) 「今日はPOPSが聴きたい。でもこんなん聴いてたらどう思わはるんやろ…」とか。でも思い切ってかけてみたら「これ、さっきまで俺も聴いてた」って言ってもらえたり。あと、行きのルーティンとして必ずあったのはコンビニに寄ることっすね。KENSAWさんアルコールめっちゃ好きやから、最初のローソンでまず停まらなあかんくて。寄る必要がない時は「寄らんでええわ」っていうんやけど、なんも言わん時は絶対停まって缶チューハイとタバコを買う。

無言のルールがあったんですね。

SOOMA―自分では口下手って言ってはったな。最初に出会ったときに「俺、口下手やからうまい事言えへんけど、俺のこと信じて一生ついてきてくれや」って言われて。その言葉に痺れた。それが全てやな。

茂千代―自分は2人きりになることもあったから、KENSAWさんが人には見せへんような孤独感とか葛藤も間近で感じてましたね。「NIWAKA(*5)」を出した頃は、”HIP HOPエンタテイメント”として、いろんなアーティストとやったりして俺をスターにすることを目指してはったと思うんです。でもずっと一緒におる中で俺がそういう性格じゃないっていうのもわかってきて。「茂千代のやりたいことをやったらいい」って言ってくれる反面、色々葛藤があったと思う。出会った時はほんまにクールな人やったからそんな葛藤とも無縁やと思ってましたけど。

*6…茂千代氏がDJ KENSAWと二人三脚で製作し,2008年にリリースしたアルバム。タイトルは司馬遼太郎の時代小説「俄(にわか)」から着想を得ている。

SOOMA―そうっすね。クールすぎて近寄りがたかったし、何を喋ったらいいかわからんかった。
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茂千代―泥酔した時は別として、キレキレの時のDJプレイはいつでもぶれなかったすね。どう例えたらええんかわからんけど。

SOOMA―俺からしたら、最後の方とかブースに立ってるだけでやばい…みたいな圧倒的な存在感があって。ああいう姿に自分もなりたいって思う。

今、茂千代さんはSOOMAさんと現場に向かうとのことですが、お二人の新御堂筋での道中はどんな雰囲気なんですか?

茂千代―SOOMAは友達も多いし、喋る人もいっぱいいるかもしれんけど、俺はHIP HOPを喋る人がほぼおらんから、SOOMAに思ってることを喋りまくるんすよ。仕事のこととかも含めて。それをSOOMAもずっと聞いてくれる。

確かにSOOMAさんは茂千代さんのおっしゃる通り、繋がりが広いプレイヤーだと感じます。ここ数年でも、レギュラーイベントを立ち上げたり、若いダンサーとも交流されたり。以前と比べて何か変化は感じますか?

SOOMA―ダンサーのみんなには「ありがとう」しかないかな。イベント遊びに来て、踊ったりしてフロアの雰囲気を良くしてくれて。ダイコク映像のキダ君がやってた「ULTIMATE」ってパーティとか、その当時の「TIME TRAVEL」とかでHEXとかsucreamとかと仲良くなってそこから派生して。

DJ中のSOOMAさんのフロアへの視線というのは、かなり鋭いものがありますよね。

SOOMA―いろんなDJがいると思うけど、俺はフロアの雰囲気を見ながらやりたい。って言ってもその日に持っていくレコ箱一箱の中でのことやから、限界はあるんやけど。

自宅でレコードを選ぶ時は、どのようにパーティの様子を連想するんですか?

SOOMA―何もDJしてる中で、「あの人はこの曲に絶対反応するなー」とかなんとなく覚えてるんやけど「今日あいつ遊びに来そうやな」とか思ったらそのレコード選んだり。もちろんDJの流れもあるから、持っていってもかけれへん時もあるけど。印象に残ってる曲は仕込んだりはする。「今日行きます」とか連絡くれる時もあるやん?

正直、SOOMAさんがそうやって遊びに来た人に歩み寄るというスタンスは意外に感じます。

SOOMA―昔はその「歩み寄り」とか、言葉すら知らんかったけどな(笑) 「とりあえず聴け!」みたいな(笑) 人と喋るんも嫌やって。いかに喋らずにプレイだけで「やばい」って思われるかを重視してた。それが健全やと思ってたし。でもいつからか「きっかけはどうであれ結果的に興味を持ってくれるっていうのがプロップスなんやな」って気づいて。周りにいる人らが心を開いてくれたっていうのもあって。それがDJにすぐ反映されたわけじゃないけど。でもその前からフロアを見るのはずっとしてたな。「あいつよぉ来てんなー」とか「あいつ上がってんなー」とか。

SOOMAさんのそういう”粋なはからい”というのは、クラブでのプレイだけではないように感じます。個人的な話になってしまいますが、MIX CDの中に自分のチームにとって思い入れのあるビートが入っていたのに気づいた時は鳥肌が立ちました。

SOOMA―上げれる部分って普段のDJプレイ以外にもいろんな要素があると思ってて。昔はクラブでのDJだけであげたいって思ってたけど、それが変わってきた。よく来てくれるような人ってやっぱ大事にしたいやん。でも今のMIX CDの件は、記事には「たまたまでした」って書いといて(笑)

(笑) さて、今回の茂千代さんのニューアルバムにおけるSOOMAさんのビートについてですが、ブレイクビーツがあったりブーンバップがあったりリディムがあったりと、かなり幅広い音が展開されている印象です。「幸福」という曲は一転してかなりメロウになったりも。

SOOMA―「幸福」は一番最後に作った。優しい曲がないなって話になって。あの曲以外は全部トラックを1年前に茂千代君に送っててん。

茂千代―1年前にビートのストックをSOOMAから送ってもらってて。その中で軸になるような曲が書けそうやったから、アルバム制作を考え出した。で、1年越しになったけど、プライベートでの変化もあって一回制作に集中しようってなった。そこからSOOMAのビートに片っ端からラップを乗せてアルバム作りが本格的に始まった。で、最後にどうしてもメロウが欲しくなった。ただ細いメロウは嫌やったから、Nice&SmoothとかBiz MarkieとかMarley Marlみたいな、そういう音はSOOMAも絶対できるから頼んだ。

茂千代さんに聞きたいのですが、アルバムを作る上でSOOMAさんに対してビートについての要望のようなものはありましたか?
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茂千代―いや。基本的にビートがないとラップを書けへんし、SOOMAの骨太でタフなビートにどうアプローチするかっていう僕の挑戦なんすよ。KENSAWさんの時からそうやったけど、かっこいいって思ったビートに対して自分がどうラップを乗せれるかを考える。やからビートがハードすぎて俺の内面と合わない時は、かっこよくてもやめるんすよ。自分が考えてることとビートが自分の中でしっくりくるものを選ぶ。実は、1年前にSOOMAから送ってもらったビートを聴いた時は「無理やな」って思ったんすよ。ビートが太すぎて負けてまいそうやなって。でも、環境の変化もあって色々から解放された時に「いける」と思った。そこから一ヶ月で大体のアルバムの骨組みはできましたね。

SOOMAさんは、逆に茂千代さんのラップに対してのプロデュース的なことはされましたか?

SOOMA―いやいや!もう自分のビートに茂千代君が乗ってくれるだけでありがたい。やっぱり十代の時から見てた人やし。十数年前に自分のアルバムに一曲だけ茂千代君が入ってくれた時でさえ感動やったし、まさかフルアルバムをやらせてもらえるとは思わなかった。大袈裟かもせんけど、もうここで終わってもいいって思えるくらい嬉しい。

茂千代―俺は正直、感動とかフレッシュさはなくて。BONSAI RECORDも闇雲PROJECTも、KENTWILD君も梟観光の下のファミリーやと思ってるから、当たり前のことやと思ってる。昔、SOOMAからmixtapeをもらって初めて聴いた時に、KENSAWさんにモロ影響を受けてるのがわかって親近感が湧いた。他にそういうフレーバーのやつもおらんかったし。

SOOMA―…けど、やっぱり若い時にCISCOの前で茂千代君とかが溜まってたのを見て見ぬフリしながら出入りしてた思い出があるから(笑)
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3, 活動歴20年を超えるDJとMCのこだわり。これからの視野。

"どうやったらそういうフレッシュなバイブスに戻れるか探してるところで。
HIP HOPに出会った時の感動を探すというか。
その結果、あんまりHIP HOPじゃないとこに行きつくんすよ。"



SOOMAさんは、選曲ももちろんですがレコードを選んだり、針を落としたり、スクラッチをしたりといった一つ一つの動作に引き込まれます。無駄がなく洗練されているという意味では職人的とも言えます。練習はいつされるんですか?
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SOOMA―タンテ買ったばっかりの頃は1日6時間とか練習してたけど、20代になったあたりからやってないな。難しいスキルを見せるよりは、誰でもできることでいかにかっこよく見えるかをやりたい。DJ始めて3ヶ月とかでもできるようなスクラッチやけど、俺がやったらなんか違うみたいな。結局シンプルなことをかっこよく見せるのが一番難しいから。若い子でも上手い子はいっぱいおるけど、やっぱり技術とかだけじゃないと思うし、俺はカルチャー含めてHIP HOPにやられてるから。まぁ練習するに越したことはないと思うけどな。あとは楽しむが第一やん?俺からしたら練習って楽しくないから。練習ばっかりしてる人はすごいと思うわ。

茂千代―練習を楽しいと思う人からしたらまた違うかもな。その人からしたら練習とも思ってないかもしれんし。

SOOMA―確かに。俺はクラブで披露してる時が一番楽しいし、そのプレイを見て楽しそうにしてもらえるのも嬉しい。

今年6月に7インチのバイナル限定でリリースされた茂千代さんのEP「WATARIDORI / BIRDCAGE WAR」は、SF小節のような世界観が印象的で、しかも茂千代さんの得意とする光景が浮かぶようなストーリーテリングなリリックとの相性も抜群だと思います。やはり小説などはよく読まれますか?

◆茂千代/WATARIDORI “image video”

茂千代―活字は好きやけど、読書家っていうほど読まへんすよ。でも、もともと実家にめっちゃ本があって。両親が本も音楽もめっちゃ好きで。やからボキャブラリー的なとこで影響はあると思う。中学校の時は「雑学王」って呼ばれてました。でも知識をひけらかすのは好きじゃないから黙ってまう。それが癖になって人とあまり喋らんようになってもうたんかもしれないです(笑) でもラップは自分を解放できるし、その中で表現として滲み出てくるのはあるかもしれないっすね。昔はことわざとかもよく使ったり、映画の「DESPERADO」からチーム名をとったり、色々サンプリングしてた。

◆DESPERADO - "SOUTHPOWFLOW"

茂千代―今は、そういうのじゃなく、自分の心から出てきた言葉を使うことを意識してて。BIRDCAGE WARは元々KENSAWさんと鳥をテーマにしたアルバムを作ろうとしてたんですよ。全部「翼をください」とか「イカロス」とか鳥に ちなんだタイトルで。「BIRDCAGE WAR」もその中の一つ。デストピア(=暗黒郷)なSF設定のなかに「今のシステムにあらがう」っていう意味合いを込めました。

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ライブで初めて拝見した時、聴こえてくる言葉の端々を繋げるだけで白黒の荒廃した世界が浮かんでくるようで、衝撃的でした。

茂千代―ほんまはそういうのをもっとやりたいんすよ。でもそういうストーリー調の曲ってドラムがなくてもいけるじゃないですか。SOOMAのビートは(跳ねているという意味で)ほんまにHIP HOPやから、そのビートでストーリーテリングをするのはちょっと違う。SOOMAとやる上では、HIP HOPをやりたかったんですよ。自然と体が揺れるような。でもストーリー調な曲も自主制作でやりたいっすね。20年後とかになると思うけど(笑)

「新御堂筋夜想曲」は茂千代さんのアルバムとしては初めてストリーミングサービスでも配信されるとうかがいました。つまり今まで客演で参加されている曲においてバース単位で茂千代さんのラップを聴いていたリスナーにもフルのアルバムを聴く機会ができるということで、反応が楽しみでもあります。

茂千代―自分はストリーミングとか全く使わんからわかんないっすけど、自分の子どももSpotifyで音楽聴いてたりするんすよ。そういう多感な時期の子らがよく使うメディアでもやってみたいっていうのはありました。でもハードルが上がっていってるから苦しいのはありますね。いいものを生むためには一個に集中しなあかん。そうなると本来やらなあかんことに散漫になってしまう。そのバランスを保てたらとは思いますね。音楽だけやってる人と違うから。

SOOMA―楽しいだけでやってた頃とまた違いますよね。若い頃は常にバイブスマックスやったし、ほぼ毎日誰かと一緒におってディグったやつ見せたりなんか作ったりしてた。大人になったらそういうわけにいかんし。取り組もうとしてもうまくいかんときもあるし。

茂千代―今は逆にどうやったらそういうフレッシュなバイブスに戻れるか探してるところで。HIP HOPに出会った時の感動を探すというか。その結果、あんまりHIP HOPじゃないとこに行きつくんすよ。毎日向き合ってます。

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最後に、記事を読んでいる方に何かあればお願いします。

茂千代―アルバムを最初から最後まで通して聴いて欲しいですね。今回は一連の流れになってるんで、アルバムとして聴いて欲しい。最後まで聴いたらわかる人はもう泣けるくらいやと思うんですよ。KENSAWさんと作ってた時と違って今回は初めて自分自身で製作を指揮したものなんですよ。もちろんSOOMAと確認し合いながらやけど。最初から最後のオチまで、映画みたいなストーリーができてるんで、一曲単位と言わず通して聴いてください。

90年代から今日に至るまで、アンダーグラウンドの代表格としてその道を追求し続けてきた2人。自身のキャリアにプライドを持ちつつも、偉ぶる様子は一切なく、等身大の言葉でインタビューに応じる姿が印象的だった。高い位置で腕組みをしつつも、過度なボースティングは用いないアティテュードこそが彼らをヒーローたらしめる要因なのだろう。ニューアルバムから滲み出る彼らの思い出や葛藤や覚悟、そしてスキル。50分間の壮大な音の旅に身をまかせたい。

インタビュー・文 : Seiji Horiguchi


Apple Musicで「新御堂筋夜想曲」を聴く
◉茂千代Instagram
◉DJ SOOMAInstagram
[引用]
梟観光オフィシャルサイト
DJ KENSAW-Amebreak 2007年インタビュー
茂千代-Amebreak 2008年インタビュー
Disc Union 「Sir OWL」紹介ページ


Seiji Horiguchi
フリーライター。新聞記者になることを夢見る学生時代を経て、気づけばアメ村に。関西を中心に、アーティスト(ダンサー/ラッパー/シンガー/フォトグラファー/ヘアアーティスト stc…)のプロフィール作成やインタビュー記事の作成を行っている。現在の主な執筆活動としては
・FRESH DANCE STUDIOインタビューシリーズ
・カジカジ、連載「HAKAH’S PROCESS」
・その他パーティレポ、ダンスチーム紹介文、音楽作品の紹介
などが挙げられる。大阪のアンダーグラウンドシーンにアンテナを張りつつストリートカルチャーの「かっこいい」を広めるべく日々執筆中。


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2019.12.18(水)
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