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FRESH DANCE STUDIOプレゼンツ、インタビューシリーズ-REIKO-

2017.09.16

◆REIKOインタビュー

今回のインタビューは、関西を代表するフィメールダンサーの一人REIKO。
チームでの活動や日々のレッスンはもちろんのこと、クラブイベントのオーガナイズ、さらにはバックダンスなど、様々な分野においてムーブメントを生み出してきた鋭い感覚の持ち主である。
近年は大阪に拠点を移し、その活動に拍車がかかっている。
ストリートで得た豊富な経験を活かし、表舞台と裏方役を巧みに行き来するREIKOの内面に迫る。


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1, ダンサーREIKOの軌跡とOUTSETが巻き起こした”JAZZダンスブーム”

--よろしくお願いします。早速ですが、REIKOさんのダンスの始まりはいつなんでしょうか?
お願いします!
ダンスを習い始めたのは12歳。キャレスでHANAIさんにLOCKを教わっていました。
でも厳密に言うと、1年以上通ってた先生がいないんです。
中学校の時は遊んでてレッスンも行ったり行かなかったりだったんですけど、高校生になった時に、友達がダンスショーしてるのを見て、「私もできるし!」ってなって。女の子4人でHIPHOPのチーム、夜光杯(やこうはい)を組みました。

--知る人ぞ知る夜光杯。なんでも車の雑誌にも載っていたと聞きましたが…?
(笑)
知り合いの車屋さんから話が来たんです。当時、カーショーによく呼ばれていて、クロスファイブ(カスタム車のモーターショーやフリースタイルモトクロスショーが開催されるイベント)にも呼ばれたり。
いわゆるダンスイベントよりも、HIPHOPのカルチャーよりのイベントに出ていました。月に11本くらいショーケースしていたんじゃないでしょうか。

--週3本くらいのペース!!当時、フィメールのダンスチームは他にもいましたか?
女子チームは少なかったですね!ブラウニーとリックバックっていうチーム、そして夜光杯が”3強”でした。(笑)いつもイベントで一緒になっていましたね。
私たちがチームでやりだした時は、ReggaeとHIPHOPを編集して混ぜるということがタブーな時代だったんです。そのおかげで色々言われたこともありましたね。

--今では、HIPHOPとReggaeは当たり前のようにショーの中でMIXされますよね。
その時には通っていたスクールもなく、京都駅で練習していました。そう考えると、かなりストリート育ちですね。実は他のダンサーのこともあまり知らなかったし、有名な人のことも知らなかったんです。

―CANDY NEONで一緒に踊っているYUKIEさんにも元々習っていたんですよね?
YUKIEさんが一番長かったですね。高校の時の先生です。
ある日、京都のスタジオにインストラクターで誘われて入った時にYUKIEさんとAKKY(当時大阪でYUKIEさんのレッスンを受けていた)がいたんです。
発表会のタイミングで、同じジャンルやし、仲いいから3人でやりたいという話になって、CANDY NEONを組みました。気づいたらそれが10年前!

--YUKIEさんに習っていた頃はもうJAZZになるんですか?
CLUB JAZZというジャンルですね。今のGIRL’S HIPHOPの前衛と言えばいいでしょうか。
逆にJAZZをスクールに行って習うということをほぼしてなくて、OUTSETに入った時に真剣に練習しました。
その時メンバー全員バリバリで動いていた時期ですね。週3くらいで日程を決めて練習会を開いて、はじめにストレッチと筋トレをしてから、その後3時くらいまで休み無しで踊り続ける、みたいな。その時にプリエなどを教えてもらってずっと練習していました。
チーム主催で舞台を2回やって、イベントも1回やって、PVを作ったりといった活動もしていました。
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--今ではプロモーションやブランディングの一環として、映像を作るチームはよく見ますが、当時は斬新だったのでは?
当時は映像を作ってるところはいなかったですね。音源も引っかかりたくないから0から作ってもらって。大学生で映像関係のことをやっている方が「映像のコンテストに出したい」って言ってくれて、自分たちは自分たちでPVが欲しかったから、一緒にやりましょうってなったんです。
生徒もエキストラでたくさん呼んだり。それからそのPVの音源でイベントでショーもしましたね。

--2014年にOUTSET10周年のパーティを開催し、それがチームにとって一つの節目とも言えると思うのですが、そのあとの活動はどのようなものでしたか?
チームとしても、個人としても柔軟に活動してきましたね。元々、OUTSETってお互い干渉しないチームなんです。誰かと誰かがユニット組んだり、一緒にショーやるってなっても「OK頑張ってー」って感じで。さっぱりした感じですね。OUTSETというチームを主軸にしてはいるけど、個人の持ってるテリトリーとか、人脈とかは全然違うフィールドだったから。
HALちゃんは今アパレルもやったりしてるし、EMIちゃんは当時バリバリ仕事もしてたし、私はずっとクラブの世界ともつながりが強かったからその界隈とリンクし続けていて。

--それも一つチームの在り方ですね。うまくチームの仕事をもらいつつも、個々では自由な活動をしていくという。
もちろん仲はいいです。チームメイトだし、仲間だから。
ただ ”OUTSETありきの自分たち” 、じゃなくて ”自分たちありきのOUTSET” にしたかったし、していっているつもりでした。その方が楽だし、自分の仕事もしっかりできるし。

--互いに寄りかかってないナチュラルな距離感がいいですね。OUTSETのショーは、3人揃ってのキレキレな振りもしますが、各々の色は全く異なるので、すごく引き込まれていきます。普段の活動やフィールドの違いがあるからこそ生まれるものなのかも。
ちゃんと3人とも熱量が同じでなおかつダンスで仕事していて、というラインが一緒なのは大事だなと実感しています。仕事しながらダンスしてる人もすごく素敵だけど、チームとして長く続けて上がっていきたいという目標がある場合は、足並みが揃わなくなってくるし、それこそ寄りかかってしまうんだと思います。
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--OUTSET以降、JAZZやGIRL’Sのブームとも言えるくらいまでフィメールダンサーの人口が増えました。もちろん生徒さんもかなりの数、輩出されていますし、一大ムーブメントとも言えるほどですよね。
計画していたことではないですけどね。でも常に発信はしていこうという精神でした。
例えば「ヒールでがっつり踊れるダンサーっていいひんよな。私らやったらできるんちゃう?」って(笑) 普段の私服で自分たちはスニーカーをはかないのに、踊る時はスニーカーを履く…ということにすごく違和感があって。似合わないし、ヒールか裸足で踊ってみようよ、となりました。


それまで誰もしようとしなかった事にチャレンジする芯の強さ。しかも奇をてらったり、意図的にムーブメントを生み出そうという窮屈さも一切ない。その凜としたスタンスは、どことなくREIKO自身の、脱力し、フラットでありながら見るものを惹きつける求心性の高いダンスと重なる部分がある。


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2, イベントオーガナイザー・指導者としてのREIKOの流儀

--REIKOさんがオーガナイズされている京都の「IT!!!」というイベントについても話を聞きたいと思います。
当時から、私自身がクラブ遊びがすごく好きだったんです。イベントって密集した空間で、お酒の席でもあって、いやでも先輩と絡める機会がありますよね?その中で腹を割って話せる先輩ができたことが思い出に残ってるんですけど、年が経って、自分も後輩ができて同じような関係になった時にそんな空間を作ってみたい、と思ったんです。
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私は何かする時に必ず「タイミング」をすごく大切にするようにしています。バックダンサーのお仕事をもらう時も、スケジュールが少しでも合わなかったら「今回は縁がなかったんだ」と思って諦めるとか、逆にばっちりスケージュールがあったら、「あーもうこれは絶対やりなさいってことなんや」って思いますし。

--その感覚は興味深いですね!一種のジンクスのような。
イベントを始めようとしたのも、その当事京都のダンサー、DJ、MCがみんな仲良くなってて、「これ今かな」って思ってスタートしました。はじめは「とりあえず一回やってみよ」くらいの気持ちで。目標は自分たちが一番楽しい場所にすることでした。
自分にしかできないことをするということ。京都でやるということ。そして深夜帯。これが自分の中での縛りでした。
その中でファッションショーをやるのはどうだろうって。協力してくださったのが、ANARCHYのやってるBLACK HOUSEと、ADRENA、そしてGALLERRIE。GYALLERIEは大きいショップやけど、ダメ元で相談してみようよ、と。
知人がショップの上層部の人を紹介してくれたので、企画書をしっかり作って持って行ったら、挨拶して企画書を渡す前に「いいよ!」と快諾してくれました(笑)
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イベント自体は、はじめは連続でやるつもりはなかったんです。でも1回目やってみて楽しくて、少し間をあけてもう一回、というのが続き、いつしか3か月に1回のレギュラーパーティとして定着しました。
そして気づけば、「ショーケースで呼んでもらえるのが夢でした」とか「ファッションショーに出るのが目標でした」といってもらえるようにまでなってることが嬉しかったです。逆に言うと、やめれなくなりましたね。(笑)
今年の11月で6周年になります。

--パーティの「楽しむ」という部分にフォーカスしたイベントを打つというところがREIKOさんらしさであり、強みですね。お酒ありきのコミュニケーションの場というか。
そう!来てもらった人にはとりあえず飲んでもらうって感じですね!(笑)
あと意識している事で言えば、自分は極力、出演はしないようにしています。来てくれて「ありがとう」と何かあった時の「ごめんなさい」を言う人。その状況にさせてくれているのはスタッフですね。
お金の計算をやってくれたり、細かい部分をケアしてくれる子がいたからできました。というよりいなかったらそもそもイベント自体もやってなかったと思います。スタッフの子も「REIKOさんはイベント当日は『ありがとう と ごめんなさい』を言う人だから」というスタンスでやってくれています。

--確かに上に立つ人間がその場にいる人たちとコミュニケーションをとって最終的に一番楽しんでいる、という絵は理想だと思いますし、その関係をナチュラルに築けていることが素晴らしいです。
上の人間って、逆に動いたらよくないと思うんです。ファッションショーのことも、はじめは自分たちで動いてたけど、一人もともとアパレルやってた子がいたので、引き継ぎして「任せる」ということを勉強しましたね。自分が動いたらよくない、というのは感じていましたし。

--誰かに任せるというのは勇気が要ることではありませんか?
要ります!実際、任せた結果、失敗してきたこともあったし。でもその時は私が「ごめんなさい」と言えばいいことなので。「一回やってみ」と任せていますね。「私らがおるから大丈夫」って。逆に誰かに任せるというやり方じゃないとずっと続けるのは大変だったかもしれません。
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--いろんなイベントに遊びに行ったり、出演してきた経験があるからこそ、そのやり方を気づけたんですね。イベントにどういう役割の人間が必要なのか、そして自分自身がどう立ち回るべきなのか。
そうですね。オーガナイザーをするなら、何か一つの部分をよく知ってるだけでは無理だと思います。出演する側なら深いものを掘り下げていけばいいですけど。それをまとめる人は幅広くいろいろなものを見聞きして考えていないといけない。
それから、私は、「2番」が好きなんです。振り付け、演出をするときにしても2番の感覚。1番はプレイヤーです。
もちろん自分がプレイヤーでいることも好きですけど。イベントをやるときにしても、1番は出てる人、来てくれる人なわけで。その人たちをどんだけ楽しんで帰らせるか。どんな苦い思い出・楽しい思い出を作って帰ってもらえるか。バックダンサーもアーティストのバックアップをするという点で「2番」。そういうことを考えてやっていくと思いのほか楽しかったですね。インストラクターも生徒さんのためのレッスンという意味では、2番ですし。

--10月には舞台も企画されていますよね?どんな想いで作品作りを?
舞台を企画するときに、いわゆる「REIKOナンバー」と言われることに違和感を感じていたんです。
今回一緒に舞台をやる15人の子たちは、ここ数年ずっと通ってくれてるメンバーなんですが、この間作品を出して生徒が踊っているのを見た時に初めて、感動したんです。
自分の作った作品って、自分が一番踊れるわけだし、自分の考えてることなので、やっぱり「もっとこうしてほしい」というのがあるんですけど、それがほぼないショーでした。それで「舞台もやれるかも」と思って声をかけてみたらみんなもやりたいと言ってくれて。
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そこで、制作チームにも何人か呼んだり、企画書も作らせたりしました。照明さんと話す時も、来れる人は全員呼んで、会場取りに行く時もみんなで行って。全部経験させました。普段ダンスの舞台って、本番のステージしか見ないじゃないですか。そこで終わるのではなく、制作していく過程を知って欲しくてあえてやってもらいました。多分しんどいことの方が多いけど、苦しんで大変な思いすればいいと思っています。
「どうしようもなくなったらいつでも私に言ってくれたらいいから」というスタンスです。
それを一回乗り越えれば、今度は自分たちで何かやるときに、怖くなくなるから「何をやればいいかわからない」という状態にはならないと思うんです。自分でナンバー作るときにも役立つし。
ダンスで食べて行きたいって思ってる子ばかりなので、作る側になって欲しいですね。

--「~~クルー」「~~ナンバー」と言うと、どうしても先生が生徒を引率する形が多くなりがちですが、そうではない、と。
それって、出る側の思考は停止しがちになりますよね。自分のやりたい事もあるはずやのに、そのセンスすらも磨けないみたいな。そうなって欲しくはないんです。今の時代、バックダンスとか振り付けとか、学校の授業で教える仕事とか、いろんな人にチャンスがある時代だと思うけど、そこにはまっていくには、いろんなことを見て、いろんなことを感じて、いろんなことを経験しないといけないと思うんです。

--かわいい子には旅をさせよ精神。逆にREIKOさんもその考えを誰か上の世代の方に教わったんでしょうか?
私の場合は、上の人がいなかったですね。特にJAZZという枠の中では。遊ぶ人もHIPHOPの人が多かったり、ダンサーじゃなかったりという人が多かったし。逆に言えばそこで学ぶものが多かったです。

--頼る人がいない分、感覚が鋭くなっていくのでしょうか。「ありなし」のセンスも含めて。
それはありますね。で、「どうかな?」の場合はとりあえずやってみる。「あかんかったらあかんかったでいいや」くらいで。
自分から探りに行かないと何も見つけられなかったですね。今は逆にそれをキャッチしに行くことが少ないのかもしれません。いろんなものがありすぎて。自分のところに来てくれて、ダンサーとしてやっていきたいって思ってる子たちにはそうなって欲しくないからいろんなことを経験してもらいます。

--REIKOさんがおっしゃる「与えられるものが多くて、キャッチしにいく力が失われつつある」というのは今までのインタビューの中でも毎回、テーマに上がってきた内容です。
みんなもっとワガママになってもいいと思いますね。それで、かみ合わなくなったらそれはそれでいいし。でもそれをかみ合わせようとするなら自分がやることやらないといけないとも思います。「人に言う前に自分がやることやれよ?」と。

自立したダンサーを育成するREIKOは自分自身も甘えのない環境で育ってきた。その緊張感を逆に楽しむ姿勢が、良い作品作りにつながるのかもしれない。さらにはこの先の新たなムーブメントの可能性すらも示唆する。


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3, メディアへの進出と、今後の展望

--NHKのブレイクスルーという番組にも出演されるということも聞いたのですが、その話を聞かせてもらえますか?
去年AIさんのバックダンスでツアー巡業中に、「出演者のお母さんにステージに上がってもらって「ママへ」という曲をサプライズで歌う」という企画がAIさんからあがったんです。
自分の母親は耳が聞こえないのでそのことを伝えると、「じゃあREIKOちゃん、横で手話やればいいと思う!」とアイデアをくださったんです。
それとは別にブレイクスルーというAIさんと風間俊介さんが司会の番組があって。生きづらさや、困難をテーマにしてる番組で、以前から「手話ダンス」を取り上げたかったみたいで。AIさんが「うちのバックダンサーでできる子いますよ」と紹介してくださって、呼んでもらえることになったんです。密着取材をさせてほしい、と。
(放送は9/11)
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AIさんもAIさんで、感覚が鋭い人なんです。私がバックダンサーになったのもインスタでダンサーを探していて、たまたま私があげたダンス動画にAIさんが反応してくださってマネージャーさんづたいでDMを送ってこられたんです。
でも送られてきたメッセージがすごく文章も固くて「一度こちらまでご連絡いただけますか、」と電話番号乗ってたりしたから「絶対スパムやん!」と疑ってしまいました(笑)
後から、本人ということがわかり、すぐに連絡しましたが。

--すごいエピソード!やはり今の時代、SNSの力というのは凄まじいですね。ちなみに手話ダンスとは、どのようなものなのですか?
手話はコミュニケーションのツールではあるけど、そこにダンスの振り付けの要素もプラスします。だからバランスを考えますね。
「手話っぽくならないように」とか「ダンスになりすぎないように」とか「ここは手話だけで行った方がいいんじゃないか」とか。
これが番組を通して広まれば、聾(ろう)学校へ行って振り付けを踊ってもらったりもできるし、ダンスが好きな子に手話を覚えてもらったりできるじゃないですか。それがどんどん広まればパラリンピックの開会式に出せたりしないかなぁって考えたりしてます(笑)

--そうやってバックダンスや、メディアにも進出しつつあるREIKOさんが、クラブシーンにもしっかり根を張って動いてくださっているというのは貴重なことです。
ちょっと変わってるでしょ?
今、中学校だったりクラブシーン以外の社会性の強いところからも声がかかってきていて、そこに自分がいる意味が自分自身でわかればいいなと思って頑張っています。
クラブはクラブで、自分の発散場所だと思ってます(笑)
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今、ダンスレッスンや、ナンバーが増え、教わりたいダンサーに教わることができる。情報が飽和状態にある現在だからこそ、ストリートでセンスを磨いてきたREIKOの言葉には耳を傾ける価値がある。「教える」のではなく「学ばせる」という意識はダンサーという職業の確立に必要不可欠ではないだろうか。





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REIKO LESSON INFORMATION
毎週土曜日 20:00 - 21:30
STREET JAZZ 入門レッスン

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文 : Seiji Horiguchi

Seiji Horiguchi
フリーライター。
新聞記者になることを夢見る学生時代を経て、気づけばアメ村に。関西を中心に、アーティスト(ダンサー/ラッパー/シンガー/フォトグラファー/ヘアアーティスト stc…)のプロフィール作成やインタビュー記事の作成を行っている。
現在の主な執筆活動としては
・FRESH DANCE STUDIOインタビューシリーズ
・カジカジ、連載「HAKAH’S PROCESS」
・その他パーティレポ、ダンスチーム紹介文、音楽作品の紹介
などが挙げられる。
大阪のストリートカルチャーにアンテナを張りつつアンダーグラウンドの「かっこいい」を広めるべく日々執筆中。


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