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FRESH INSTRUCTOR MTE INTERVIEW [前半]

2017.03.30

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メジャーアーティストのバックダンスなど、芸能界でも活動経験のあるMTE。
現在も大阪と東京を行き来して精力的に活動を続ける彼女のダンスライフ。
そして、一度会ったら忘れない明るいキャラクターに迫る。




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ーーよろしくお願いします。まずは自己紹介からお願いします。
M,T,Eと書いて「モトエ」と言います。今年でダンスを始めて20年になります。

ーーそんなになるんですね。ダンスを始めた頃の話を聞かせてください。
10歳の頃、歌って踊れるというパフォーマンスに憧れてダンスを始めました。
13歳の頃から本格的に歌とダンスを習いにスタジオへ通い始めました。
でもすぐに「自分は(歌よりも)ダンスだ」と直感しました。

ーーはじめはどんな活動をしていたんですか?
始めた当初は独学でした。「この曲で踊るならこういう振り付け!」と自分なりに振りを考えたり。
当時、スタジオって敷居が高くてなかなか行けなかったんですよ。周りは大人ばかりだし。

ダンスをしようと思ったきっかけはJ-POPだったので、梅田のタワレコに行って一日中、試聴機で聴いていました。
それが次第に洋楽のフロアにも足を運ぶようになって自然にHIPHOPやR&Bを聴くようになりました。
高校はダンス部のあるところに入ってそこで後輩に振り付けを教えたりしていましたね。
あとは梅田のESTでチームで練習したりもしてました。

ーー貪欲に音楽を掘ってたんですね!思い出に残っているアーティストや曲はありますか?
初めて買ったアルバムはLaullynHillの「The Miseducation of Laullyn Hill」です。このアルバムでプリエの練習をしていましたね。

ーーMTEさん自身がインストラクターとしてレッスンをするようになったのはどのくらいですか?
高校2年の頃だからダンスを初めて6年目ですね。
スタジオの先生が私が通ってる高校のダンス部を見にこられて私が後輩に教えてるのを見て、レッスンのオファーをくださいました。


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●ジャネットジャクソンとの出逢いがMTEのダンス人生を変える。

子どもの頃、スタジオで見たジャネットの「Velvet Rope Tour」のLIVE映像に衝撃を受けて以来、ジャネットの大ファンになりました。
夢が、「ジャネットの前で自分の踊りを披露すること」になるくらい。

マイケルが亡くなって、「マイケル・ジャクソン・トリビュートライブ」を開催するにあたって、ダンサーのオーディションをすることを知ったんです。
「これ私のためのオーディションや!」とすぐさま応募しました。
その時の審査員がケントモリさんだったんです。
1000人以上のダンサーが受けに来てたけど、絶対に受かるつもりでいました。
「これで受からなかったら今まで何がジャネットジャクソンって言って踊ってきたんや」っていう気合いで。
オーディションに落ちたらダンス辞めるつもりでいました。
一緒に受けてた子からは後から「あの時のMTE、気合い入りすぎて炎が出てたよ」って言われました(笑)

ーー覚悟が凄まじいですね…。
もう全力で踊って全部出し切りましたね。足が折れて一生踊れなくなってもいいって思うくらい。
晴れてオーディションには合格して、東京に移って稽古に入ったんですけど、実は初日で足の靭帯を伸ばしてしまったんです。
これは今まで、誰にも言ってないことです。周りに知られたら外されるかもしれないし、ステージの演出に迷惑をかけることになるから。必死にテーピングをして踊ってました。
あんなに気合入れて、オーディションに受かったのに怪我でステージに立てないなんて考えられない!と思って。
このステージは最後まで踊りきろうと決めましたね。そこまで覚悟を決めたのは後にも先にもその時だけです。
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ーーそこまでそのステージにかけていたとは…。どんな気持ちでステージへ臨みましたか?
周りの多くのダンサーや出演者はマイケルが好きで「マイケルへの追悼」の想いでパフォーマンスしていたと思うんですけど、自分は少し違って、「ジャネットの気持ち」を考えていました。「マイケルが亡くなったと知った時、どんなに辛かっただろう」って。そのことを考えただけで、涙が出てくるほどでした。だからジャネットの為に踊るって感じでしたね。

ーーMTEさんのダンス人生にはジャネットが凄まじく影響しているんですね。
そこから何年か経って、ケントさんから連絡があって、SMAPのバックダンサーとしてのお話をいただきました。
ケントさんのイメージ的には、替えのきくメンバーで綺麗なダンスをするより、一人ずつキャラがある、個性を大事にしたパフォーマンスにしたいということで。私の踊りを覚えてくださっていたことは嬉しかったですね。
そこから半年ほどはバックダンサーとしての活動をして、紅白の出演も決まったり。

そういう流れもあって、ジャネットと会うという夢が叶ったんです!!

ーーついに!それはどういう経緯だったんですか?
ジャネットがアルバムを出して、日本公演で来日することが決まったんです。
そのタイミングでソニーミュージックから、歓迎の意味を込めてアルバムのメインの曲である「Burn It Up」という曲で日本版のPVを作って、ジャネットに見せよう!という企画が上がりました。
そのダンスの監修のケントさんから直接声をかけていただきました。

PVの内容としては、日本を代表するダンサーが踊っている映像を1カットずつ繋いでいくという感じで、自分も担当のパートで10数秒の映像を撮ることになりました。
でもね、想像してみてください!今までの15年分のジャネットへの想いとか、自分が大阪を代表してるっていうことを10秒で表現しないといけないんですよ?!
どうやったら私の想いがジャネットに届くのか、と悩みに悩みました。
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そしてFRESHのスタジオをお借りして撮影しました。今までの感謝の気持ちと「LOVE」が伝わるように目一杯踊りましたね。

ーーそこでFRESHを選んでくださるとは!ありがたい!
スタジオ1の奥の壁を見ればFRESHってすぐにわかりますし、自分が大阪をレペゼンしてることも伝わると思って。

そして大阪公演の時、自分もチケットを買って見に行っていたんですが、ソニーミュージックの方が、ジャネットのマネージャーさんを通してジャネットに日本版PVを見せてくれていたんです。
そしたらジャネット本人がすごく感動してくれて、マネージャーさんが是非直接あってお礼を言いたいといってくれて。
コンサートの本番前に会場の入り口でお会いしたんです。もう、そのマネージャーさんにすら、会った瞬間にジャネットを感じて号泣してしまいました!
その時に「ジャネットにもあなたの想いを伝えるからムービーを撮ろう」と言ってくれたんです。突然のことで何を伝えようか迷ったけど、とにかく「You are my all !!(あなたは私の全てなの!!)」と叫びました。
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そしてコンサートが終わって感動しながら帰っていたら、ケントさんのアシスタントから鬼電がかかってきていたんです。電車に乗る寸前に電話に出たら「もとえー!ジャネットに会えるよ!すぐ戻ってー!」と言われて。「エーー!!」てなって。(笑)
どうやらソニーミュージックの方と、ジャネットのマネージャーさんと、ケントさんのアシスタントの間で連絡を取り合って、ジャネットに会えるように動いてくれていたみたいなんです。

ダッシュで会場まで戻ると、スチール撮影用のボックスの前に案内されました。
マネージャーさんのはからいで何人かに分かれて中に案内してもらうという形でした。その時、一緒にジャネットのPVに出た他のダンサーたちもその場にいました。

そして、ついにジャネットと対面した瞬間、その場で立ちすくみ、涙がボロボロ出てきました。
ずっと映像でしか見てこなかったから、「あ。ジャネットってほんとにこの世に実在するんだ」ってなりましたね。(笑)
めちゃめちゃ緊張しましたけど、片言の英語で「あなたの曲のダンス、全て踊れます」とか「あなたのおかげで今の私がいます」と必死に伝えました。

そして、写真も撮ってもらいました!ほらこれ!(待ち受け画面を見せる)
肩まで組んでくれたんですよ!!あの日のことは一生忘れられないですね。
それだけ自分の中で大きい出来事だったので、小さい頃からの夢が叶ってしまって
「これから何を目指して生きていこう…」ってなるほどでした。

ジャネットへの強烈な憧れと豊かな感受性がMTEを成長させ、夢を引き寄せた。




MTEのダンスライフの他に類を見ない経験談、いかがだっただろうか。
後半ではMTEの意外な過去のドラマを振り返る。
どのようにして彼女のダンス観が培われたのか。
「MTE STYLE」への葛藤とこだわり。
人間としての芯の強さを垣間見ることになるだろう。



MTEインタビュー 後半はこちら



文 : Seiji Horiguchi

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