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FRESH DANCE STUDIOプレゼンツ・インタビューシリーズoSaam

2019.06.21

奈良県出身のHIP HOPダンサーoSaam。
国内外のあらゆるダンサー、ひいてはダンス以外の分野のアーティストとも繋がりを持つ稀有な存在と言える。「唸るgroove」と形容されるスタイルを武器に日本国内でのダンスバトルは言わずもがな、海外のバトルにおいても輝かしい成績をおさめてきた。いまや日本最高峰のダンサーとして誰もが認める存在だろう。今年春には自身の所属するチーム、sucreamgoodmanの名義で映像作品「LINKS2」をリリース。彼のダンスと、HIPHOPと向き合う姿に今一度、注目が集まっている。そんなoSaamはどんなダンス人生を歩んできたのか。どんな出来事に影響を受けたのか。知られているようで知られていないエピソードや胸の内を語ってくれた。

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1, HIP HOP DANCER oSaamの誕生秘話

“どん底やったNYがいきなり映画の主役になった気分やった”


oSaamさんはもともとはLOCKダンサーだったというのは聞いたことがあるのですが、その当時の話を聞かせてもらえますか?

oSaam―KENTARO君ていう、勝手に師匠と思ってた東京のLOCKダンサーがいて。KENTARO君はショーで、Soulとか、Funkとか、シンセの効いたErectroのBreak Beatsとか、いろんな音楽のジャンルをひっくるめて一つのショーで使ってて。2エイトずつ音変えてつなげていくとか。それに影響受けていろんな音楽を掘るようになった。

HONGOU―KENTARO君はかっこよかったな。センスが光ってた。ソロで踊らせてもすごいし。いろんな人が影響受けてたし、新しいスタイルでシーンを作った人やと思う。当時は各地方に個性の強い有名なダンサーがいてん。KAGAWA君はC-Trainていうチームで。

oSaam―で、自分はそのKAGAWA君がやってたチームに引っ張ってもらっていきなりゲストっていう扱いで出させてもらって。HIP HOPのチームやったけど、その中で自分はLOCKでバーって出たり。

ちなみにHONGOUさんとoSaamさんの出会いもその頃なんですか?

oSaam―Soul Attackってイベントで初めて見たんちゃうかな。クラブでショーをし始めた時期はお互いもっと前やったけど、HIP HOPとLOCKで畑が違ったから出会ったのはクラブで出始めてから、しばらく経ってからやった。

HONGOU―もう女の子は、oSaamが手を振ろうもんなら「キャー!!」って感じやった。俺も男ながら「あれは惚れてまうわ」って言ってた(笑)

全員―ははは(笑)
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oSaam―HONGOUはHONGOUで、Banana Tailの後、テクノ系の音を使ったりとかしてて、それがハマりすぎてて、そういう意味でも彗星のような存在やって、しかもソロになったらめちゃくちゃかましてて。「すごいやつおる!」と思って声かけたら、HONGOUも自分のこと知ってくれてて。共通の友達もいてすんなり仲良くなったよな。

その時は2人で踊るなんて思わなかったわけですよね。今、2人はゲストダンサーとして、日本各地やアジア圏にも呼ばれることが多いですが、お互いにどういう部分にfeelしたと思いますか?

HONGOU―俺はoSaamはダンスでいえば永遠のライバルって意識はあんねんな。でも遊びで言えば全然ちゃうくて、しょうもないことしてきた遊び相手って感じ。そうあっていたいな。

oSaam―俺もそう思う。ただ元々は友達やったけど、HONGOUは気づいたらアパレル始めたり、スタジオ建てたりっていうアクションを起こしてて。一個引いてはたから見たら、俺なんも残せてないやん…って一瞬寂しくなったりもするけど、逆に自分は何ができるんかなって考えさせられて。いい意味で「お前はどんなことすんの」って問われてるような、そういう存在やな。それをみんなにやってるんやろな。もちろん言葉では言わへんけど。でも一緒にショー作るときは全然普通やんな。「最近どんなん聞いてるー?」みたいな。

世間的には2人の関係性というか、どんなコンビなのかというのは気になるところだと思います。Youtubeなどで動画を見ただけではわからないでしょうし。

oSaam―世間的には同じように見えてるかも知れんけど、直接喋ったら「こんな奴ら」っていうのはわかってくれると思うで。

HONGOU―まぁタイプでいったら…俺がめんどくさいタイプで、oSaamがめんどくさくないタイプやな(笑)

oSaam―や、めんどくさいタイプと、おもんないタイプやろ(笑)

マイナス要素しかないじゃないですか!(笑) では、sucreamgoodmanのチームメイト、DYさんYoheiさんとの出会いについて教えてもらえますか?

「EN(イーエヌ)スタジオ」ってところでLOCKのレッスンやり始めて、初めての発表会の時に「生徒がおらへん…」ってなった時に、「DYちゃんって今、何やってるんやろ」って気になって連絡した。そしたら「自分、ダンスやめてサッカーやってるんですよね。でもoSaam君から連絡きたらもう一回やろうって決めてました」って言ってくれて。別にそれまでも一緒に踊ったりもしてなかったんやけど。

そんな過去があったとは…。Yoheiさんについては?

Yoheiは…知らん間におった感じ(笑) 兄ちゃんもダンスやっててさ。たぶん、俺のことを好いてくれてて一緒にやりたいと思ってたんちゃうかな。で、俺がKENTARO君を追いかけてたのを知ってたから「LOCKもやっといたほうがいい」って思ったのか、初めて会った時にLOCKを見せてきてん。「できますよ」みたいな(笑)
とにかくアピールが半端なかった。一発で「こいつめっちゃおもろいやん!」ってなった。でもその知り合ったタイミングで俺が一人で半年NYに行くことが決まってたから、DYちゃんに「Yoheiの面倒見てあげてな」って頼んでん。

なるほど。LOCKダンサーだったoSaamさんが半年のNY滞在を経てHIP HOPを中心に踊るダンサーに転向したとうかがったのですが、そもそもNYに行くきっかけはなんだったんですか?
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元々はおかんやねん。おかんがある日夢を見て、その次の日に占い師さんに「息子さんをNYに行かせた方がいい」って言われたらしくて。いきなり俺に電話かけてきて「あんたNYいかへんか」って言われてん。

スピリチュアルなきっかけだったんですね(笑)

あとはKENTARO君を追っかけてる自分が嫌にもなってて。変わりたかってんな。それが24くらいの時。当時、周りでNYに行くっていう人はいなかったな。上の人らの世代は行く人もいたけど。

でもNYに行っても繋がりもないし言葉もそこまで通じないわけですよね?

全然やった。着いて速攻タクシーのおっちゃんに嘘つかれて300ドル取られたからな(笑)
住むとこ探して不動産屋回ってる時もぼったくられたし。

幸先が悪い!(笑)

日本に電話するのにも、今みたいにiPhoneも発達してないから大変やったし、
HEXが3人で来てくれた時とかめっちゃ嬉しかったし、楽しかったけど、3人が帰ったあと、寂しすぎたわあ(笑)
で、Brian Greenのレッスンに行ってみたんやけど、はじめは無視されててん。
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それはなぜですか?

いろんな生徒がおったからちゃうかな。で、ブライアンのイベントが月一であって、みんなフロアでサークルみたいなんも始めるねんけど自分は入れず端の方で固まってもうてて。半年行ったうちの5ヶ月くらいはそんな状態やった。で、最後の一ヶ月でU-SUKE KYOTO JAPANが、その時のチームメイトのSHINGOと2人でNYに遊びに来てん。あいつらはもうギラギラしてたから、そのBrianのイベント遊びに行った時にサークルに飛び込んでいくねんな。黒人ばっかりでストレッチとかリンクとかだけが踊るようなサークルやから、俺は「うわーあかんって!」ってなってさ。そしたら若い黒人の中のPOKER(HELLRAZORZ)ってやつがU-SUKEたちに返してきて、POKER対2人になって。でも2人は圧倒されてPOKERの独壇場みたいになってしまった。それを自分は端で見ててだんだん沸々してきて。初めてそのサークルに、わっと出てしまってん。

ついにサークルの中に飛び込んだわけですね!

出た瞬間にそれまで無視してたブライアンが「ちょっと待て!見ろ、こいつの踊り!」って周りのみんなを止めだして。それまで溜めてたエネルギーをそこでぶつけれて、Brianはそれを受け取ってくれたんやろな。で、その次の日にレッスン行ったら、みんなを座らせて「こいつは昨日やばかったんだ」って紹介してくれて。そこからレッスンも最後にピックアップしてくれたり特別扱いに変わった。それまでどん底やったNYがいきなり映画の主役になった気分やった。

まさに映画のようなエピソード!
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最後の一ヶ月はめっちゃ楽しかった。街を歩いてるだけでも楽しい!みたいな。それまではLOCKしか知らんかったし、自分がどういうダンスをやったらいいかわからんかったんやけど、最後の一ヶ月で自分の踊りを認めてもらえて。

帰国後、何か変化はありましたか?

むしろ、帰ってきてからの変化がめちゃめちゃ大きかったかな。NYに行ってる時は無我夢中で、もがいてるって感じやったから。例えば帰ってからALIVE TVを見たら、目に入るもの全部が違うくて。「上の人らが言ってることってこういうことやったんか」ってなって。感覚も含めて。それまではLOCKとHIP HOPを中途半端にやってたみたいなもんやし、しかも人の真似やったから。やっと自分の感覚で見れるようになったな。帰ってから1年くらいはほぼ毎日、アライブTV見てた。コマ送りしたり、巻き戻ししたり。それが楽しかった。1年くらいかけて変わったって感じやね。

NYに行って経験したことが進化の糧になったんですね。帰国してからの活動はどのようなことを?

帰ってきてからすぐOSAKA DELIGHT出て優勝してジャパンに出たりやね。
HEXがODDとって、そのあとに俺ら(sucreamgoodman)がとって、その後もGroovinがとって…って流れが良かったな。自分らはLOCKからHIPHOPやり始めようってなった時に直属の上の人がいない状態やってんな。他の勢いのあるチームのこともそこまでチェックしてなかったし。でもそれが逆にやりやすかった。伸び代が増えたというか。好き勝手やれたのは大きいな。HONGOUは逆にKEISUKEさんからの流れの上下関係があったりしたけど、自分はほんまになくて。大事なことも飛ばしてきてるねんな。やから、自分が下に教えることとかもニュアンスが変わってると思うねん。好きなようにやったらいいよーって。そこはHONGOUと俺でも微妙に違うねん。
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ODDでの優勝で、注目のされ方も変わったのでは?

うん、あとはYoutubeが爆発的に普及したタイミングで、世界が一気に変わったな。いろんな人に知ってもらって仕事も増えて。時には許可なしでアップロードされるやつもあるから問題ももちろんあるけど。

それは大体いつ頃の話ですか?

2010年、だいたい30くらいの時かな。

なるほど。意外と最近ですね。そうやってダンサーとしての立場や生活自体が変わっていったのもこの10年くらいだったんですね。

2, sucreamgoodmanのDVD作品 ”LINKS”

“Yoheiが「ここで踊りたいっす」って言って。それを聞いた瞬間に、全部バーンって見えて”


oSaamさんがNYから帰ってきた頃からLINKS1を出す頃にかけての動きについて詳しく知りたいんですが、当時DYさんYoheiさんとはどんな話をしていたんですか?

帰国後すぐディライトに出たのはTaichiがいた時で、その後にTaichiとYoheiが入れ替わってYoheiが
「(チームに)入って最初にやりたい事は、ディライトに挑戦することです」って言ったのがきっかけやって。自分的にはもうディライトは出なくてもいいかなと思ってたけど、Yoheiがいうならやろうって気持ちになって。予選は通れて、本戦は何も取れなかったけど、Yoheiも納得できたみたいやから、そこからはコンテストは置いておいて自分らのHIP HOPやろうやってなった。やっぱり「HIP HOP」が自分らのキーワードやった。その時の、212.MAGのシモちゃんとの出会いが大きかった。あの人のおかげでそれまでフラフラやった俺の人生が芯の通るものになるかもって。そこから変わり始めた。

そこからDVDを製作するという流れですね。LINKS1は、oSaamさんにとってどんな作品ですか?

LINKS1をやることによって、チームが一つになったって感覚が強いかな。今、振り返ったらもともとは軽い動機でダンスをやってたんやなって思う。当時は本気でやってるつもりやったけど、音作りとか自分らのブランディングとかはまだまだ幼かったな。
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なるほど。どういうところに「一つになった感覚」を感じましたか?

LINKSというものをやろうってなって、その時に初めてチームメイトと向き合ってんな。それまでは、言葉で伝えなくても(チームメイトが)自分のこと理解してついてきてくれるもんやと思っててんけど、実際は全然ちがくてわかってもらえないことが多かった。でもそれは自分が言葉足らずなだけやってんな。相談もせず、決めたことだけを報告するとか。自分が伝えようとしないとみんな理解してくれへんねやって。そこからちゃんと伝えるようにしようって思った。そう考えたらDY、Yoheiと一緒に一個の作品を作れてよかったなと思う。そうじゃないと、もっと理解しあえてなかったしもっと薄っぺらい状態でここまできたと思う。

LINKS1,2と、映像のディレクションをされた「ダイコク映像」のキダさんとの話を聞かせてください。
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もともと映像を作るという話は、キダくんと俺の話やって。キダ君はHONGOUと2人で「ULTIMATE」っていうパーティをやってて、そこに俺が遊びに行ってて出会った。面白いし、HONGOUとはまた違った意味で人を楽しめせる人やし、自分にはないものを持ってて、いいなぁって思ってた。で、Club AZURE(アズール)で週1でPROPSをやるようになって1年くらい経った時にキダ君が
「自分、賞金が100万円のバトルでるらしいやん、もし優勝したらどうするん?」て言ってきて。
「や、特に考えてないっすけど、なんかあるんですか?」って聞いたら
「俺、カメラやってるし、もしほんまに100万撮ったら映像作品、やらへん?」て。
「そこまで言うなら、頑張ってきます」って返事して。そこまで本気で考えてなかったけど。ほんまに100万とったらキダ君めっちゃびっくりしてた。

2人とも当初は本気にしていなかったんですね(笑)

で、もともとはYoutubeにのせるPVを撮る予定やってんけど、NY行く前にシモちゃんと話してたら「そんなんするんやったらDVD作ったら?」って言われて。衝撃やったけど「やる!!」ってなってみんなにも伝えた。みんなわけわからんまま撮影したりで色々問題はあったけど。そこで初めてMarquestと知り合った。

過去のインタビュー記事を拝見しました。Facebookでメッセージを送ったんですよね。

そう。たまたまNYにいてたまたま受け入れてくれて。

Marquestが今、当たり前のように日本に来てくれるようになったきっかけとも言えますよね。LINKS1を作り終えた後は、どんな手応えがありましたか?

さっきも言ったように自分自身のことがわかってもらえてなくて、俺ばっかりが先走ってる感覚があったからやりたいことはもっとあったけど、ある意味諦めてしまってんな。撮影してる中でもチームの中でもめたりして、一回2人のこと嫌いになってしまったり。でもあとから、自分が伝えてなかったからこうなったんやって気づいて。そこから俺はもう先走るのはやめようってなって落ち着いた。でもどっちにしてもDVDとしての作品はもう作るつもりはなかったな。
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それでもまた、2作目に取り組もうと思ったきっかけはなんだったんでしょう?

きっかけは色々あって。まずチームで仙台に行った時に、めっちゃかっこいい店と出会って。

SHAPES(シェイプス)ですね!

そうそう。そこはシモちゃんとも繋がってる店やって、「仙台行くなら是非行ってみて」ってオススメされて行ったらほんまに衝撃で。その時にYoheiが「ここで踊りたいっす」って言って。それを聞いた瞬間に、全部バーンって見えて。作ろうやってなった。ただ、LINKS1の時はシモちゃんが「DVDにしたら?」って背中を押してくれたんやけどLINKS2の時は逆に俺が「DVDにしたい」って相談したら「いや、やめといた方がええんちゃう?」って言われて(笑)
「1個目と2個目のやる意味をしっかりわかった上でやったら?」って言ってくれた。

いつも的確で頼もしいアドバイスをくださる人ですね…。もう一つ深く考えたところからの意見というか。

もうシモちゃんは俺の中でめちゃめちゃ大きいよ。9割くらい。自分1割!(笑)
で、シモちゃんのギャラリー、212.とSHAPESを今回の軸にって考えた。
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シモちゃんと、SHAPESのオーナーの平山さんがめっちゃ似てるねんな。
話すたびにHIPHOPに対してのこだわりとか、貴重な話が聞けて、「こんな人いまでもいるんや」って。その2人の伝えたいことを伝える場所の一つとして俺らの作品に込めたらどうかなと思って。
言ってしまうと、今回のLINKS2は俺ら(sucreamgoodman)は全く必要じゃなくて。俺らを前に出してはいるけど、本当はシモちゃんと平山さんのメッセージとかやってることを見せたいねん。そういうストリートにいる人たちからのメッセージを知ってもらうのもダンスやっていくうえで絶対大事やと思ったし、バトルとかSNSとかのダンサーがすごい多いから、本当の意味でかっこいいダンサーを発掘するためにもやる意味があったなぁって。

きっかけも含めてSHAPESと212 MAG.が起点となっているんですね。
今回、トラックを全面プロデュースされたBudamunkさんとの制作についてもお聞きしたいと思っています。音源を任せるとか、ビートを新しく作ってもらうというところはどういった経緯が?
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これは全然、お願いしたわけでもなんでもなくて、もともとBuda君にLINKSの一発目を渡した時に「めっちゃやばかった!もし次やるなら是非やらせてほしい」って向こうから言ってくれて。

なんと!Budamunkさんの方から提供すると言ってくださったんですか。意外です。

「ありがとうございます」って言ってたけど、そんなん本気にせえへんやん?(笑)
でもしばらくしたら曲作ったって言って聴かせてくれてん。めっちゃヤバくて、形にするしかないと思ったな。212とSHAPESの話もあって、同じタイミングでBuda君のトラックが上がってきたのもあったりで「これやるしかない」って。

周りのタイミングが重なった結果、新しく作品を作ることを決めたんですね。

そうそう。でもやるんやったら、俺らはALIVE TVに衝撃を受けたからPrancerに出て欲しいとか、せっかくやるんなら大阪のシーンもしっかり映したいからHEXにも出てもらいたいとか、ちょっとだけ自分らのエゴを出しつつ肉付けしていって。SHAPESと212.にも通いつめて。

DVDの内容の中の具体的な部分になるのですが、Prancerが自宅でブックを手にとって話をしているシーンがありますよね?そのシーンも、Budamunkさんのトラックがバックで流れているのですが、途中でそのトラックも終わって、無音の中Prancerが話し続けている、というような場面になります。しかもその内容も切実さが感じられるメッセージで。意図的に彼の言葉を聞かせようという工夫がなされているように感じました。
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あれは、SHAPESの平山さんの伝えたいことの一つやな。LO-LIFEっていうカルチャーについての内容。昔POLOの服を万引きしてタグをつけたまま着てどんだけイケてるかってていう集団があって、当時は窃盗集団として有名やってん。でも何十年か経って、今は逆にムーブメントになって、LO-LIFEっていうブランドができてさ。全身POLOで揃えるんやけどその合わせ方が異常にかっこよくて。そういうセンスがある集団のリーダーの1人がPrancerやねん。
そういう人が日本でもおるんやけど、なかにはLO-LIFEが本来目指してるカルチャーと全然違う目的の人もいっぱいいてて。「LO-LIFE JAPAN」をうたってるのに、転売目的でPOLOを買ったり。俺もそれは違うと思うから、そういう人らにも伝えたくて、PrancerがLO-LIFEのことについて話してるシーンをどうしても入れたかってん。

先ほど、LINKS1を作り終えた時に「伝えたいことが伝わらないもどかしさを感じた」とおっしゃいましたが、LINKS2を経た今は、どうですか?

今は逆にストレスは全くなくて。コミュニケーションもスムーズに取れたと思う。それでも若干テンパってたから大阪のシーンを撮る時に、HEXとかに全然伝えられてない状態で「どういうこと?」ってならしてしまって迷惑かけたりもしたけど。

3, 故郷への気持ち。これからの展望について

"自分が生まれた土地を愛するのは当たり前やねん”


地元での活動について聞きたいと思います。TENRI GOODFELLOWSをはじめoSaamさんの故郷である奈良での活動が活発になっていますが、何かきっかけや思いがあるのでしょうか?

結構これもタイミングが重なったっていうだけで、大阪から天理の実家に戻ったタイミングで天理市長から話があってん。「天理でこういうのをしようと思ってるので、世界で活躍している”塩田さん”、是非協力していただけませんか?」ということで。

市長側からのオファーだったんですね。TENRI GOODFELLOWS、今年の春で3度目の開催でしたが、やっていてどうですか?
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めっちゃおもろいで。ただ、奈良を大事に思っていたというのもあったけど、最近になってその感覚は変わってきてん。今は地元とかをあんまり強く思いすぎるのもどうかなと思ってて。ちょっと前までは「地元」とか「奈良にみんな来て欲しい」っていう思いがあったんやけどそうじゃなくても別にいいかなって。
「日本が好きで」「自分の生まれたところが好きで」っていう考えはいいと思うけど、そう言ってるうちは自分の中で無意識に周りに敵を作ってるからそう思うんかなぁって。

敵を作るというのは?

自分が生まれた土地を愛するのは当たり前やねん。でもフラットに「人類」として見たときに、そこにこだわりすぎるってことは無意識に周りに敵を作っていくことになるんじゃないかなと思って。例えばSNSでも「愛してます」とか「ありがとう」とか、そういうのを出せば出すほど、逆に寂しいんかなとか思う。そういうのに似てるね。心が満たされてる人って、楽しいこととか前向きなことを発信していくと思うねんな。ネガティブなことを乗せる人ってどこか満たされてない人ってそういう部分でメッセージを発信してるんやと思う。だから奈良にこだわってる自分にも欠落してるものがあるんじゃないかなって。
最近そう気づいて、もっと楽に行けたらなぁって思ってる。GOODFELLOWSも今までと同じ形でやっていくし、会場も変わらず天理駅前やけど、「地元!!」っていうのが落ち着いた分、気持ち的には楽になれそう。アメリカで生まれたサブカルが日本にやってきたのはそういうことやと思うから。

これからもっと人に伝えていきたいことや、構想はありますか?

構想は…ないな。今回のLINKS2を出したことで、俺の夢は全部終わってしまってん(笑)

そうなんですか(笑)

Marquestが日本にいる間、いろいろ話してて「次のプランは何だ」って聞かれてんけど「俺もう全部夢終わったわ」って。Marquestとも踊れて、RubberBandとも踊れて、Prancerとセッションできて、DVDも出して…。夢全部叶ったわって。それでもMarquestは「もっとあるだろ。レストランしたり、スタジオしたり、伝える場所を作れるんじゃない?」」って言ってきた。でも今のところ思いつかなくて。
みんなスタジオやったりアパレルやったり、DYちゃんはBETWEENやったり。でも俺は何もやってないままここまできて。でもこうやって作品を残せたりできたから、俺なりの場所というか伝えるものができたから。動ける間はそれでもいいかなと思って。みんなにとってのスタジオやったり店っていうような場所に代わるものが自分の踊りやと思ってて。俺の踊りを出すことでそれができたらいいなって。今回はDVDを出すことで一個、また場所ができた訳やし。
それを受け取ってくれる人にとっては、多くを語らなくても、伝えたいことが詰まってるからそれでいいと思う。それでも、聞きに来てくれる子には向き合って「こういうことがあって」っていうのを話したり。それでいいかなぁと思ってて。だから、次のプランは、ないです!(笑) 逆にいうと次に何が見れるのかは楽しみやね。

まさにそれもタイミングかもしれないですね。誰かの一言でふいに生まれるような。

また212.いかなな(笑)
あとは今やってることをもっと大事にしていきたい。PROPSとかTENRI GOODFELLOWSを。
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自明のことではあるが、生まれもって完璧な人間などいない。
ダンサーとして多くの偉業を成し遂げ、作品を生み出すなど誰もが羨むダンサーoSaamだが、多くのダンサーがそうであるようにうまくいかない時期や、もがき苦しむ時期、またチームメイトとのコミュニケーションに悩む時期があった。目を向けるべきは現在の彼のダンススキルやライフスタイルだけではなく、そういった時期を乗り越えてこそ今の彼がある、という事実ではないだろうか。

2019/5/29


oSaam [sucreamgoodman] LESSON INFORMATION
毎週火曜日 21:30 - 23:00
HIP HOP 初級 レッスン
レッスンに関する詳細はこちらから
その他のレッスンスケジュールはこちらから。


今回のインタビュー会場 : 「長堀ダイナー」
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本格的な鉄板焼きやワインを楽しめるバル。オープンキッチンで奥行きのあるゆったりしたカウンターに座りながら、手作りにこだわった料理を楽しむことができる。店内奥には4人がけのテーブル席が3台あり、団体での利用も可能。
【アクセス】
・長堀橋駅より徒歩3分
・心斎橋駅より徒歩5分
クリスタ長堀
・
長堀橋駅から138m
【営業時間】
[月~土]
17:00~翌2:00(L.O.1:00)
[祝]
17:00~翌2:00(L.O.1:00)

定休日: 毎週日曜日 12月31日 元旦


インタビュー・文 : Seiji Horiguchi
Seiji Horiguchi
フリーライター。新聞記者になることを夢見る学生時代を経て、気づけばアメ村に。関西を中心に、アーティスト(ダンサー/ラッパー/シンガー/フォトグラファー/ヘアアーティスト stc…)のプロフィール作成やインタビュー記事の作成を行っている。現在の主な執筆活動としては
・FRESH DANCE STUDIOインタビューシリーズ
・カジカジ、連載「HAKAH’S PROCESS」
・その他パーティレポ、ダンスチーム紹介文、音楽作品の紹介
などが挙げられる。大阪のストリートカルチャーにアンテナを張りつつアンダーグラウンドの「かっこいい」を広めるべく日々執筆中。


Seiji Horiguchi Instagram

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